リリカルブレイカー

 

 

 第39話 『Are you going to give up?』




 空に金色の閃光が爆ぜる。
 爆ぜた閃光の中には二つの影。
 フェイトの結界破壊魔法・スプライトザンバーによって闇の書の精神世界から脱出してきたフェイトと勇斗だ。
 精神世界から戻ると同時に、勇斗も鷺沢悠斗から遠峯勇斗の子供の姿へと、バリアジャケットもいつものズボンにシャツにジャケットを着た姿へと戻っている。
 そして精神世界とは違い、現実での勇斗は飛翔魔法を使用できない。
 精神世界で飛翔魔法を発動させたままの気分でいる勇斗は当然、重力に従って落下する。

「って、うわおおおっ!?」
「勇斗!」

 落下する勇斗を素早くフェイトが抱き留める。俗にいうお姫様抱っこの状態で。

「大丈夫?」
「……おう、もう大丈夫だから降ろしてくれぃ」

 流石に自分より年下、しかも女の子相手にこの構図は恥ずかしかったらしく、勇斗の顔が朱に染まる。
 即座にフローターフィールドを展開して、降ろすように頼んだものの、フェイトは楽しそうに笑って勇斗をを降ろそうとしない。

「照れてる勇斗ってなんか新鮮だな。もう少し見てたいかも」
「おい、こら」
「あはは」

 仏頂面でフェイトを睨み付ける勇斗だが今の状態では逆効果でしかなく、かえってフェイトの笑いを誘う結果になる。

「――ずいぶんと余裕ですね」

 そこに響くのは呆れたような少女の声。
 勇斗とフェイトはすぐさま緊張を取り戻し、警戒の視線を向ける。
 その先には悠然と佇むマテリアルの三人とフェリクス達の姿。その姿を認めると同時に、二人の胸を嫌な予感が支配する。

「……おい、なのは達はどうした?」

 そう問いかける勇斗の声はかすかに震えていた。
 勇斗の問いに、闇統べる王ことロード・ディアーチェは嘲笑を浮かべてゆっくりと指先で指し示す。
 敵を目前にしながら、勇斗とフェイトはディアーチェの指し示す先へと視線を移してしまう。

「……っぁ、く」
「……っ」

 何が起こったのか、勇斗はすぐに理解できなかった。いや、理解したくなかったというべきか。
 最初に視界に映るのは半ばからへし折れて大地に突き刺さるレヴァンティン。
 その先に映るのは、バリアジャケットが裂け、ボロボロになって倒れ伏すなのはやクロノ達。
 誰一人、意識のある者はいない。遠目では死んでいるのか、気を失っているだけなのかすらわからない。
 あまりに衝撃的な光景に、フェイトすらも声をあげることができなかった。

 ――嘘、だろ?

 そんな言葉だけが勇斗の頭の中に浮かぶ。
 ありえない。なのは達が負けるはずない。
 勇斗が勝手に決め付けていた幻想が、脆くも崩れ去っていく。

 ――なんでこんなことになった?俺がいたから?俺のせいで?
 
 自分が余計なことをしたから。責任感とも罪悪感とも知れない感情が勇斗の心を塗りつぶしていく。
 血の気が引き、勇斗の全身から力が抜けていく。
 今の勇斗に精神世界で見せた強さや、ふてぶてしさは欠片も存在しない。
 勇斗の精神的な強さは、いわば硝子の刃のようなものだ。
 攻めに回れば強いが、守りに入れば非常に脆い。
 この世界にいる経緯こそ特殊だが、所詮は特殊な訓練を受けたわけでもなく、窮地に慣れているわけでもない常人に過ぎない。
 許容量を超えた衝撃にはあっさりと心が折られてしまう。
 そんな勇斗が動揺する様に、フェリクスとマテリアル達は心底満足そうに笑みを浮かべている。

「言っただろう?あの世界で夢を見ていたほうが君たちは幸せだったと。待っているのは残酷で厳しい現実だとね」

 ちょいちょいとフェリクスは地上を指差す。
 飛べない勇斗に対する気遣いのつもりか、地上に降りろということだろう。
 すぐにでもなのは達のところへ飛びたい気持ちを抑え、フェイトは地上へと降り、勇斗を降ろす。
 そこからの反応は対照的だった。
 顔面を蒼白にして見上げる勇斗と、バルディッシュを構え戦闘態勢を取るフェイト。

「実に良い表情だ。そう、それが見たかった」

 嗜虐の笑みを浮かべたフェリクスが、ゆっくりとその手を勇斗へと差し向ける。

「勇斗っ!」

 足が竦んだ勇斗は動くことすら叶わない。
 それに反応できたのはフェイトだけ。
 放たれた砲撃から勇斗を庇うように立ち塞がり、シールドを張る。

「くうっ……っ!」

 砲撃自体はシールドで防げる。だが、フェリクスの砲撃はなのはにも匹敵する威力で以って、防御の上からフェイトの魔力をどんどん削り取っていく。

「バカっ!俺に構うな!」

 怒鳴る勇斗だが、その足は大地に縫い付けられたように動かず、取るべき手段も思いつかない。

「ダメだよ。友達を見捨てるなんてできない……っ」

「――っ」

 勇斗の脳裏に、時の庭園での出来事がフラッシュバックする。
 モントリヒトの攻撃から自分を助けようとして傷を負ったなのはの姿。
 あのときも結局、自分は足手まといでしかなく、助けられるばかりだった。

 ――動かなくちゃ
   ――どうにかしなくちゃ

 そう思っても、動けない。何をすればいいのかわからない。
 フェイトの前に出たところで、何の壁にもならずに吹き飛ばされるのは容易に想像できる。
 考える間にも、フェイトのバリアジャケットは引き裂かれ、スカートやマントがボロボロになっていく。

 ――なにかしなくちゃ
   ――フェイトを助けないと
   
 ただ気持ちだけが先走り、自分がすべきことが思いつかない。まともな思考ができないほど勇斗の精神は追い詰められていた。

「くくく、それこそが塵芥にふさわしい顔だ。さぁ、その顔をより深い絶望に染め上げよ」

 ディアーチェの声が響く。
 フェリクスの更に頭上。三つの光が煌々と輝きを放つ。
 レヴィ、シュテル、そしてディアーチェの三人がそれぞれのデバイスを構え、砲撃体勢に入っていた。
 フェイトと勇斗の背筋が凍りつく。
 この状況であんなものを喰らって耐えきれるわけがない。

「あなた方は絶望の中、どんな表情を見せてくれますか?」

 抑揚のないシュテルの宣告とともに、三つの閃光が大地を貫いた。




「あっ……くっ」

 全身を打ちつけられたかのような痛みが苛む中、ゆっくりと目を開ける。
 全身に痛みは走るが、五体そのものに大きなダメージはない。
 予想よりも小さなダメージに訝しむが、すぐにその理由を理解した。

「あ……あぁ」

 小さく、かすれた声が漏れる。勇斗を庇うようにフェイトが覆いかぶさっていた。
 身に付けていたマントやスカートはおろか、全身のバリアジャケットがボロボロだった。結んでいたツインテールも解け、意識はない。
 目に見える傷こそないが、見るからに痛々しい姿だった。手にしたバルディッシュも無数の罅が走り、無残な姿で転がっている。
 自分が受けるはずだったダメージのほとんどをフェイトが受けていたのは一目瞭然だった。

「あ……くっ」

 遠くには同じような惨状のなのは達が再び視界に入る。
 ――それもこれも全部自分のせいだ。全部、俺がいたから

「攻撃は非殺傷だ。命に別状はないから心配しなくていい」

 フェリクスの声が響く。

「私が見たいのは自らの無力を知り、悔やみ、嘆くその姿だ。今の君のようにね」

 だから殺す必要はない。より長く、はっきりとその姿を楽しむために。

「我が主ながら、随分と歪んだ性癖ですね」

 フェリクスの言葉に、深々とため息をつくシュテル。
 頭上から響く声に、勇斗はギリっと歯噛みする。
 フェリクス達に対する怒りはある。だが、何もできない。する力がない。
 自分に力がないのが悔しい。自分のせいで何もかも失うのが怖い。

「もう、立ち上がる気力もないかい?今から私たちは君に攻撃する。その子を巻き込んでも構わないというならそれでもいいがね」

 愉悦に歪んだ顔でフェリクスは、勇斗に向かって手を向ける。

「く……そっ」

 小さく毒づきながらも、フェイトをゆっくりと横たえ、よろよろと立ち上がる。
 頭の中を様々な思考が駆け巡り、ぐちゃぐちゃになりながらも、フェイトをこれ以上傷つけさせないためにその場を離れる。

「そうだ。塵芥は塵芥らしく、地べたを這いずり回るがいい!」

 全身に力が入らず、よたよたと無様に歩く勇斗に向けて、ディアーチェが魔力弾を一発、二発と続けざまに連射する。
 直接、勇斗を狙うのではなく、その足元や進行方向を狙って揺さぶる。

「ぐっ!」

 足元からの衝撃にバランスを崩し、倒れこむ。

「く、そっ」

 両手を地に着いて跪く勇斗の目に、悔し涙が溢れる。
 良かれと思ってしたことが、最悪の結果を招いた自分。失うことに怯え、震える自分。何もできない自分。
 敵であるフェリクス達よりも、自分に対する不甲斐なさと失望、怒りのほうが、より強く湧き上がってくる。

「ちくしょう……ちくしょう……っ」

 力が欲しかった。フェイト達を助ける力が。力さえ、力さえあれば。
 だけど、弱い自分には何もできない。抗えない。勝てるわけがない。
 もう一度立ち上がる力すら沸いてこなかった。

『Are you going to give up?』(あなたはこのまま跪いて終わる気ですか?)

 自らの嗚咽が漏れる中、その声は静かに――――だが、はっきりと勇斗の耳に届いた。

「ブレイ……カー?」

 声は勇斗が腰につけたデバイス、ダークブレイカーのものだ。
 呆然とする勇斗になおもダークブレイカーは無機質な音声で語りかける。

『You give up a promise with them and are over?』(彼女達との約束を放棄して、跪き続けるつもりですか?)
「……っ」

 ――――だから、侑斗は侑斗の幸せを見つけて。私の好きな侑斗のままで
  ――――侑斗ならきっと、どんなことでも乗り越えていけるはずだから
    ――――約束、だよ?

 ――――絶対、みんな一緒に帰ろうね

 ドクンと、胸の鼓動が大きくなるのを感じた。

『She recovered from despair. What do you do?』(彼女は絶望から立ち上がりました。あなたはどうしますか?)

 脳裏に浮かぶのはプレシアに真実を告げられた時のフェイトの姿。あの時、少女は確かに絶望の底に落ちたはずだ。
 まだ幼く、か弱い少女にとって、それがどんなに悲しくて苦しいことなのか。勇斗にとって想像もつかないほど辛いことだろう。
 それでも彼女は立ち上がった。逃げることもせず、捨てることもせず、真っ向から向き合うために。
 夢の中で肩を抱いたフェイトの感触を思い出す。まだ小さく頼りない華奢な少女の体。
 あんな小さくて幼い子供が立ち上がって見せた。
 それなのに自分がこんな程度のことで絶望して良いのか?
 ギリっと、歯噛みをしながら地面に着いた手に力を込める。

 一方的に交わされた、誰よりも大切な人との約束。
 ついさっき約束したばかりなのに、もう、忘れかけていた。
 みんな無事に帰らなきゃいけない。あいつを探さなければならない。こんなところで跪いている場合じゃない。
 力が無いことが、何もしないまま諦める理由になるのか?
 
 ――答えなど初めから決まっていた。

「……決まってるだろ」

 体はまだ恐怖に震えている。相手は強大。自分は無力。力の差は歴然としている。勝ち目など万に一つもない。
 だが、それがどうしたというのだ。
 なのはやフェイト。彼女達が同じ状況ならどうするだろうか?
 ゆっくりと顔を上げ、立ち上がる。込み上げて来る静かな願いを胸に秘めて。

「戦う!あいつらをぶっ飛ばす!」

 仁王立ちとなって吠える。自らに言い聞かせ、鼓舞するように。

「くっ……くくく……あははははははははっ!」

 それまで黙って見ていたディアーチェが、こらえきれなくなったように笑い出す。

「笑わせるな、塵芥。そのように震えた体で何ができる?貴様程度では戦いにすらならんわ!」

 フェリクスや他のマテリアル達もディアーチェと同じことを思ったのだろう。それぞれに失笑や呆れたように溜息を漏らしている。

「…………」

 ディアーチェの言うとおりだった。足はガクガクと震え、拳を作る手も震えていた。無様なことこの上ない。
 まずはこの震えをどうにかしなければ満足に動くことさえできないだろうと、勇斗自身理解しているが、理解したところでどうにもならないのが恐怖であり、感情なのだ。頭でわかっただけでどうにかなるほど、世の中甘くはない。
 拳を強く握りこみ、すうっと息を吸い込む勇斗。自分の中にある、ちっぽけな勇気を呼び覚ますために。

「ふんっ!」

 思い切り自分の顔面に拳を叩きつける。

「お、おお?」

 その衝撃は自身が想像していた以上の衝撃を与え、勇斗の体をふらつかせる。

「……恐怖のあまり、気でも狂いましたか?」

 突拍子のないその行動に、憐憫の視線を向けるシュテル。
 それに対して優斗は痛む額を押さえながらも不敵な笑みを浮かべる。その目に涙を浮かべながら。

「まさか。ただ震えを止めただけだ」

 その言葉の通り、少年の震えは止まっていた。
 だが、それがどうしたというのか。そんなことはなんら状況に変化を及ぼさない。
 彼の力では何もできない。待つのは絶望の未来でしかないのに。

 ――にも関わらず、何故そんな笑みを浮かべられるのか?

 そんなシュテルが抱いた疑問を知る由もなく、勇斗は不敵な笑みを浮かべたまま口を開く。

「一つ、賭けをしようぜ」
「賭け?」

 フェリクスが何の気もなしに訊き返す。

「このまま戦えば俺は瞬殺される。だからハンデを付けようぜ」
「ほう?」

 ――何を言い出すかのかと思えば
 そう語るフェリクスの視線に怯むことなく勇斗は言葉を続ける。

「お前らが使うのは非殺傷の魔法のみ。攻撃対象は俺だけ。俺の心を折ればお前らの勝ち。俺がお前らをぶっとばす、もしくは非殺傷でない攻撃をしたり、俺の仲間に攻撃すればお前らの負けだ」

 まともに戦えば勝ち目などない。それは勇斗自身が良く理解している。だからこその提案だった。
 彼我の力量差を考えれば、これでもハンデとすら言えないようなハンデだ。勇斗が勝つ可能性など限りなくゼロに等しい。
 フェリクスやマテリアル達からすれば失笑ものだ。

「馬鹿馬鹿しい。そんな結果の分かりきった賭けを受ける必要がどこにある?」
「やってみればわかるさ。お前らなんかに今の俺の心を折ることなんてできやしない。勝つのは俺だ」

 ディアーチェの言葉を、勇斗はあからさまな挑発で返す。圧倒的に不利な状況にも関わらず、勇斗の態度は傲岸不遜そのものだ。
 だが、それが空元気であり、かつ、わざとディアーチェ達の自尊心を刺激し、自分の賭けに乗らせようという魂胆が見え見えだった。

「――いいだろう」

 剣呑な光を目に宿したディアーチェが口を開くよりも先に、フェリクスが同意を示す。
 ディアーチェが不服全開の視線をフェリクスに向けるが、フェリクスは大らかに笑みを浮かべてそれを受け流す。

「瑣末な希望にすがる姿もまた一興。その希望を跡形もなく打ち砕かれ、絶望に伏す姿はなお良い」

 フェリクスの嗜虐の笑みに応えるのは、これまた不敵な笑み。鋭い眼差しに、口の端を釣り上げて笑う様は、子供が浮かべるには幾分不適切なものだ。あと数年、年を重ねていればさぞかし悪人面と評されるであろう笑みを張り付けたまま、両手を腰だめに構える勇斗。
 飛べない勇斗に対するせめてもの情けか、三人のマテリアルとフェリクスはゆっくりと、地に降り立つ。

「じゃ、まずは僕から遊ばせてもらおうかな」

 とん、と軽やかに一歩を踏み出したのはレヴィ・ザ・スラッシャー。
 その姿が不意に掻き消える。

「少しは楽しませてよね」
「――あ?」

 眼前にその姿を捉えた時には、レヴィのデバイス――鎌状のハーケンフォームとなったバルニフィカスの魔力刃が勇斗の体を袈裟がけに切り裂いていた。
 文字通り目にも止まらぬ速さに勇斗は反応すらできない。非殺傷設定ゆえに傷はないが、バリアジャケットは切り裂かれ、体には引き裂かれるような痛みが走る。
 痛みにあえぐ間もなく、勇斗の胸にレヴィの手が触れる。
 
「雷刃爆光破!」
「――――っ!!」

 雷光が爆ぜる。零距離で炸裂した砲撃魔法に声にならない叫びをあげたまま吹っ飛ばされる勇斗。受け身も防御も取れないまま、背後の瓦礫に激突して埋もれてしまう。

「……って、弱っ!?もうちょっと反応くらいしようよ!?」

 あまりの手ごたえのなさにレヴィのほうが困惑してしまう。

「口ほどにもない。これで終わりですか」

 期待していたわけではないが、こうも簡単に終わってしまっては、シュテルも落胆の吐息を禁じ得なえかった――が。
 ガラッと、崩れた瓦礫を押しのけて立ち上がる人影。

「いってぇなっ、くそが!」

 その目には相変わらず涙が浮かんでいるが、五体そのものはかろうじて無事だ。吹き飛ばされながらも、体に圧縮魔力を纏い続けたおかげで、瓦礫に突っ込んだときのダメージはある程度相殺していた。無論、レヴィの攻撃による痛みはその体を苛んでいるが。

「ふふん、そうこなくちゃ楽しくないよ」

 良い玩具ができたと言わんばかりの笑みを浮かべて数発の魔力スフィアを発生させるレヴィ。

「さぁ、どこまで耐えられるかな!?」
「俺が勝つまでに決まってるんだろ!」

 レヴィが手を振ると同時に撃ち出される槍のような魔力弾。勇斗はダッシュしてそれをかわすが、その行く手を阻むように次々と魔力弾が撃ち込まれていく。

「ほらほら!しっかり避けなよ!」

 足元を崩され、よろけたところに撃ち込まれる魔力弾を、自ら跳んで転げ回ることで回避。次に撃ち込まれた魔力弾を両手をついて跳ね起きてかわす。
 わざと当たるかどうかギリギリのラインで撃ち込まれる攻撃を、両手両足を駆使して文字通り必死にかわしていく。
 地べたを転げ回るその姿は、無様なことこの上ないが、それでも少しずつレヴィとの距離を詰めていく。
 飛び散った破片がぶつかる痛みに顔をしかめながも、勇斗は一足飛びでレヴィを捉えられる間合いへと踏み込む。
 よろける体を軸足一本でバランスを取り、思い切り跳ぶ。体ごとぶつかる勢いで拳を繰り出し――

「――っ!?」

 何も捉えることなく空を切った。

「遅いね。そんなスピードでは僕の影すら踏むことはできない!」

 瞬時に勇斗の背後へと回り込んだレヴィに慌てて振り向く勇斗だが、振り向き終わる前にその体を衝撃が襲う。
 加減をしているとはいえ、その威力は勇斗をボールのように吹き飛ばし、勢い余って一回転させたところで岩山へと叩きつける。
 かはっと息を吐き出した勇斗は、そのまま背中から滑るように崩れ落ちる。

「君は弱い。特別な力もない。そんな君が何をしようとしても無駄なんだよ。大人しく諦めたらどうだい?」

 岩山に背中をもたれたまま座り込む勇斗を、悠然と見下しながら告げるレヴィ。
 顔を伏せているため、勇斗の表情までは見えないが、さぞかし力の差に絶望していることだろう、と愉悦に浸るが、その期待は次の瞬間に裏切られる。
 荒い息をつきながらも顔を上げた勇斗の目には一切の怯えも諦めも存在しなかった。ただ決意だけを湛えた視線でレヴィを射抜き、ゆっくりと立ち上がる。

「弱いからどうした?」

 ゆっくりと一歩を踏み出す

「特別な力がないからなんだ?」

 誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かせるように吐き出す言葉。
 ざっ、ざっ、と踏み出す歩みには確かな力強さがあった。

「そんなもの諦める理由になんかなりはしない」

 倒れ伏した彼女達がそんなことで諦めたりするだろうか?そんなものは考えるまでもない。自分より小さな女の子たちは、こんな痛みを超えて戦ってきた。

「おまえらを出したのが俺なら、俺が片を付ける。あいつらの未来を奪わせたりなんかしない」

 様々な因縁に縛られ、苦しんできた彼女らが心の底から笑いあえる未来を知っている。それを自分という存在のせいで台無しにするなどあってはならない。

「ふん。偉そうなことを言っても、力のない君には何もできない。できるのはただ絶望して闇に墜ちることだけさ!」

 手にしたバルニフィカスを突き付け、レヴィは勇斗の決意と覚悟を鼻で笑い飛ばす。
 弱い者が何を言おうとそれは負け犬の遠吠えに過ぎないのだから。

「力がないってんなら……」

 足を止めた勇斗が両腕を胸の前で交差させる。

「今!この場で!手に入れりゃぁいいんだろうがぁっ!!」
『Get set』

 叫び声と共に、交差させた腕を広げて自らの魔力を全開にして解き放つ。
 同時にダークブレイカーがボロボロになった勇斗のバリアジャケットを再構成する。
 
「えっ!?」
「なっ!?」
「バカな……っ」
「……っ!」

 マテリアル達はおろか、フェリクスすらも眼前に起きた光景に言葉を失った。

「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!!」

 止まらない。
 勇斗の小さな体から溢れ出る魔力の放出が。
 気付けば辺り一帯、いや結界内全てを勇斗の体から溢れ出る濃紺の魔力光が満たしていた。
 勇斗が行っている行為自体は、意味のない――いや、何の効果も付与していない魔力をまき散らすだけの魔力の無駄遣いでしかない。
 にも関わらず彼らを驚愕させているのは、その魔力量。

「どこにこんな魔力が……」

 信じられないと言った風にシュテルが呟く。闇の書に蒐集されてさほどの時も経っていない。仮に全ての魔力を蒐集しきらなかったとしても、残っているのは搾りかすのようなもののはずだ。

「ありえぬ……っ」

 ディアーチェが苦虫を噛み潰したような表情で、睨みつける。
 勇斗が今放出している魔力量だけでも自分が持つ魔力量を凌駕している。
 通常では考えられない異常な事態だった。

「ふん!たしかに凄い魔力だけど……君には宝の持ち腐れだね!」

 だが、勇斗がその魔力を使いこなす術がないことは、マテリアル達も知っている。
 恐るるに足らずと、威嚇の魔力弾を撃ち放つ。
 レヴィの放った魔力弾は勇斗の頬を掠めるが、勇斗の瞳には一片の恐怖も浮かばない。

「いくぞ、ブレイカー!」
『Get set』

 猛然とレヴィめがけて突撃をかける勇斗。

「データよりも数段速い」

 予想以上のスピードで疾走する勇斗に、シュテルは僅かに目を瞠る。
 蒐集時に得た勇斗のデータ。先ほどまでと比べても、目に見えて魔力の出力が上がっていた。
 高ぶった感情のおかげで、普段以上の出力と集中力を発揮している。

「だけど、僕からすれば亀みたいな遅さだね!」

 ふわりと浮きあがったレヴィは瞬時に勇斗の横へ回り込む。勇斗からすれば、まるで瞬間移動でもしたかのような移動スピードだ。
 蒼い閃光が閃き、勇斗の肩に切り裂かれたような痛みが走る。その痛みと衝撃でバランスを崩した勇斗は前へとつんのめる。

「まだだっ!」
「わっ!?」

 そのまま転ぶかのように見えた勇斗だが、地面に着いた手で器用に反動をつけ、後方のレヴィへと飛び蹴りを放つ。
 不意を突いた一撃だったが、そんな体勢からの蹴りに勢いも威力も乗るわけがない。レヴィは持ち前の反射神経であっさりとそれを回避する。
 回避されたほうの勇斗は不自然な体勢で跳んだことがたたり、顔面から地面にべちゃりと無様に着地する。

「おーい?」

 そのままピクリとも動かない勇斗を、バルニフィカスでツンツンとつつくレヴィ。

「……これで終わり?」

 拍子抜けしたようにレヴィが呟いたその瞬間、勇斗の体が翻る。

「ちえぃ!」
「うわっ!?」

 半身を起した状態での足払い。これまたあっさりとかわされるが、払った足を基点にしてレヴィ目掛けて跳ぶ。

「がああああぁっ!!」

 広げた五指をひっかくように振り下ろす。空振り。その勢いのまま体を反転させて、左後ろ回し蹴り。空振り。
 軸足が滑り、横倒しになった体を左手で支え、右足を蹴り上げる。

「わ、わ、わわっ!?」

 不意打ちから始まった攻撃は途切れることなくレヴィを攻め続ける。
 両手両足、時には肩、ひじ、果てには頭まで使って攻め続ける様は、御世辞にも洗練されているとはいえず、不格好極まりない。

「このっ、調子に乗るなーっ!」

 密着状態で勇斗の攻撃を全てかわし続けたレヴィは、拳を振り切った状態の勇斗から一足飛びで間合いをとり、手にしたハーケンフォームのバルニフィカスを一閃。

「が……っ」
「電刃衝!」

 痛みに動きが止まったところに、魔力弾による追撃。
 為す術もなく直撃を受けた勇斗はそのまま踏ん張ることもできず、膝から崩れ落ちて倒れ伏す。

「へっへーん!どうだ!これでもう起き上がれないだろ!」

 自らの成果に満足したレヴィが自慢げに胸を張るが、やんわりとシュテルがそれを否定する。

「いえ、まだ終わってないようですよ」
「え?」

 見れば、そこには生ける屍のごとく、ゆらゆらと体を起こす勇斗の姿があった。

「げっ」
「まだ……まだ」


 身に纏ったバリアジャケットはボロボロになり、息を切らしながらも、その眼光は炯炯としており異様な雰囲気を醸し出していた。

「代わりましょう」

 勇斗の異常な雰囲気にどん引きしたレヴィに代わり、シュテルが一歩前に踏み出す。

「先に一つだけ言っておきますが……あなたの念話、だだ漏れですよ?」

 ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、言っていた勇斗の動きが一瞬、ぴたりと止まり、気まずそうに眼を逸らした。

「『俺が時間を稼ぐ。その間に回復してこいつらを倒す手段を考えろ。俺に何があっても絶対に出てくるな』、ですか」

 淡々と告げるシュテルの言葉に、勇斗の頬がひくつく。
 それは、レヴィに攻撃をしてる途中から、倒れているなのは達へと送り続けた勇斗のメッセージだった。
 本人は秘密のつもりだったのかもしれないが、生憎と敵である彼女らにもだだ漏れだった。
 ぐぎ、と呻きながら、羞恥に顔を赤くする勇斗が目を馳せると、レヴィとディアーチェ、フェリクスまでも薄ら笑いを浮かべていた。
 敵にも筒抜けのメッセージに本人だけが気付いていないなど、滑稽極まりない。

「自分の力では私たちに勝つことはできない。だから自らの身を盾として仲間が回復する時間を稼ぐ。自己犠牲の精神というものですね。実に感動的です」

 まったく感銘した様子のない表情で、シュテルは淡々と告げる。

「ですが無意味です。例え彼女らが立ち上がったとて、その魔力は尽き、戦う力など残されていません。あなたがどんなに時間を稼いだとしてもそれは徒労に過ぎません」

 事実、シュテルの言うとおり、彼女らの攻撃によってなのは達の残存魔力はほとんど残っていない。
 より長く嬲り、深い絶望を与えるというフェリクスの意向により、攻撃こそ非殺傷に設定されていたが、その苛烈な攻撃は彼女らの体力、魔力を根こそぎ削り取っていた。
 仮に立ち上がったとしても、まともな攻撃一つできないほどに。
 シュテルの言葉は、勇斗からすれば死刑宣告に等しいものであった。
 が、勇斗が起こした反応はシュテルの予期したものとは違うものだった。

「フ、フフフ、ハハッ」

 かすかに響く笑い声。
 予想していた絶望、恐怖、あるいはそれらに類するものとは相反する反応に、シュテルは眉を顰める。

「まぁ、この期に及んであいつらの手を借りようと考えてる時点でだっせぇよなぁ」

 クククッと微かに忍び笑いを漏らしながら顔を覆っていた右手を突き出し、五指を広げる勇斗。

「端っから自分だけで決着をつける気でなきゃ、勝てるもんも勝てないよな」

 言葉にした決意を表すように、広げた指を一本一本握りこむ。

「本気で勝てると思ってるのですか?あなたの力で?」
「勝つ」

 淀みなく、躊躇のない即答に思わず鼻白むシュテル。はったりかと思いきや、少なくとも目を見る限りは本気で言っているようにしか見えない。この状況でどうしてそう断言できるのか。勇斗の思考は完全にシュテルの理解を超えていた。

「いいでしょう。何を持ってそう思えるのかはわかりませんが、あなたの全てを私が撃ち砕きましょう」
「上等!」

 背後にフローターフィールドを多重展開。自らそこに飛び込み、フィールドの反発力を利用しての加速。
 シュテルはそれを妨害することなくただ見守る。

「衝撃のファーストブリットォッ!!」

 自らの跳躍力とフィールドの反発力を加えて繰り出す拳。

「話になりませんね」

 勇斗の全力の一撃は、シュテルが指一本掲げて形成したシールドにあえなく阻まれる。
 シュテルの髪一つ、微動だにさせることすらできない。

「ならっ!」

 一撃で通じないのならば、通じるまで撃ち込むと言わんばかりに、左右の拳を連続で叩きこむ。
 もちろん勇斗の力では、何十、何百、何千発打ち込もうが、シュテルのシールドを破ることなどできるはずもない。
 むしろ打ち込む勇斗の拳のほうがシールドの硬さに負け、血を滲ませる始末。
 それでも勇斗はその手を止めない。ただ愚直なまでに拳を叩きつける。
 勇斗の気の済むまで攻撃させるつもりだったシュテルだが、これでは時間の無駄と思いなおし、展開したシールドを爆発させ勇斗を吹き飛ばす。

「ぬぐっ!」
「今度はこちらからいきます」

 飛び起きた勇斗に迫るのはなのはのアクセルシューターと同質の誘導操作弾パイロシューター。
 反射的に首を逸らして回避したものの、光球はすぐにターンし、勇斗の背中に叩きつけられる。

「がっ……!?」

 背後からの衝撃に意識が飛びかける。

「がああっ!」

 前のめりに倒れかけたところに足を踏み出し、踏ん張る。キッとシュテルを見据えるとそのまま突撃をかける。

「何度やろうと同じことです」

 愚かなことを、と言わんばかりにシュテルの前に発生した魔力スフィアが六発の光弾となって勇斗に襲いかかる。
 自らの力量では回避も迎撃も不可能。そう判断した勇斗は両腕で頭をガードするようにして、自ら弾幕に突っ込む。
 だが非殺傷とは言え、その威力は尋常なものではない。勇斗程度がガードしたとはいえ、そんなものは紙の盾で銃弾に挑むようなものだ。
 シュテルの予想違わず、全身に光弾を浴びた勇斗は何の抵抗もなく吹き飛ばされる。

「終わりにしましょう」

 これ以上、茶番につき合っていられないとばかりにデバイス――ルシフェリオンを構える。
 迸る光の奔流。
 ブラストファイアー。なのはのディバインバスターすら凌駕する威力の砲撃が勇斗を飲み込む。
 悲鳴すらも上げられず、地面に激突する勇斗。
 ――――終わった
 あれだけの攻撃を受ければもう立つこともできないだろう。そう考えたシュテルがそのまま踵を返そうとしたその時――信じがたいものをその瞳に映した。

「――っ!?」

 小さく呻きながらも、両手をつき、立ち上がろうとする勇斗の姿を。未だ屈することのない、闘う意思を秘めた瞳を。
 何故立ち上がれる?どうしてまだ闘おうと思えるのか?
 そもそもレヴィの攻撃を何発も喰らった時点で並の魔導師が戦闘不能になるだけのダメージは受けている。
 そこに自らの攻撃を受ければ、闘う意思はおろか、意識を繋ぎ止めることすら困難なはず。
 実際、勇斗は起き上がろうとしても失敗し、その顔を地面にぶつけている。
 それでも。
 震える手を大地に付き、懸命に起き上がろうとしているその姿に得も知れぬ感情が湧きあがってくる。
 レヴィも同じものを感じているのか。シュテルと同様、薄気味悪いものを見るような目つきをしている。

「ふん、まったく。あのような塵芥を相手に何を手こずっている」

 必死に立ち上がろうとしている勇斗の頭を勢いよく踏みつけるディアーチェ。

「我にまかせろ。こんな下郎の意思など粉みじんに粉砕してくれるわ」

 ぐりぐりと勇斗の頭を踏みにじりながら、口の端を釣り上げるディアーチェ。
 踏んだ足先から睨み上げる勇斗の視線を楽しそうに見下ろしていると、ぼそりと勇斗が呟く。

「どうでもいいけど、丸見えだぞ」
「?」

 一瞬、勇斗の言葉が何を指しているのかわからず、首を傾げるディアーチェだが、その視線が自分のスカートの中を指していることに気付き、羞恥に顔が染まる。

「この塵芥がぁっ!」

 羞恥と怒りに震えながら再度、振り上げた足を叩きつけるように振り下ろすが、勇斗は転がるようにしてそれを回避する。

「幼女の下着なんて見ても、何も感じないから気にするな」
「死ね!」

 起き上がりざまに発した言葉に対する返答は砲撃だった。
 その反応を予期していた勇斗は、かろうじてその一撃を転げて回避するが、避けられたのはそこまでだった。

「遅いっ!」

 転げて立ち上がったところに放たれた魔力弾。狙い違わず勇斗の足を払う。

「くっ」

 痛みに顔を顰めながらも、体を支えるべく手を突き出すが、それもまた光によって弾かれる。
 結果、無様に顔面から大地へと激突する。

「楽には終わらせん。じわじわと嬲りつくしてくれるわ!」
「くっ、があぁっ!」

 痛みに震える体に鞭打って起き上がるが、動く間もなく、ディアーチェの魔力弾がその体に突き刺さる。
 腹に突き刺さった一撃に、カハッと息を吐き出す。
 そこに続く連弾。
 一発、二発、三発と途切れることのない魔力弾が勇斗の全身を打ち据える。

「ハハハッ、踊れ!踊れ!我に歯向かったことを死ぬほど後悔させてくれる!」

 勇斗の体が崩れ落ちようとすれば、下から跳ね上げるようにして魔力弾をぶつける。
 途中で倒れることすら許さない苛烈な攻撃に、勇斗の体はディアーチェの意のままに翻弄され続ける。

「貴様の闘志、希望……その全てを消し飛ばしてくれる!」

 エルシニアクロイツを振りかざし、光が爆ぜる。
 非殺傷である以外に手加減など存在しない砲撃魔法――アロンダイトが勇斗の体を飲み込む。
 ゴミのように吹き飛んだ勇斗が瓦礫へと激突し、その体は崩れ落ちる瓦礫の中へと埋もれていく。
 瓦礫の中から、力なく垂れ下がった左手だけが伸ばされる様は、ある種の墓標のようにも見えた。

「ふむ、少しやりすぎたか?」

 瓦礫から突き出された手はピクリとも動かない。あれだけの攻撃を受ければ意識が飛んでもおかしくないし、瓦礫に激突したダメージだけでも相当なものだろ う。非殺傷設定のおかげで肉体にダメージはないとはいえ、地面や瓦礫に激突すれば、少なくない物理ダメージを受ける。打ちどころが悪ければ、そのまま死に 至ることもあるだろう。

「やりすぎですよ、ディアーチェ。殺してしまってはこちらの負けになってしまいます」
「ふん、余波による負傷まで面倒は見れぬわ。それで死んだのならば、こやつの負けよ」

 やんわりと諭すシュテルの言葉を鼻で笑い飛ばしながら、勇斗の手を蹴り飛ばすディアーチェ。
 ピクリとも動かぬ手に、「所詮はこの程度か」と鼻を鳴らす。生死を確認するためにここから引きずり出すかどうか思案したところに変化は起きた。
 突如として勇斗の手が動き、ディアーチェの足をガしっと鷲掴みにする。

「なっ!?」
「ま〜だ〜ま〜だ〜」

 続いて聞こえるのは地獄の底から響くような声。
 ガラガラと瓦礫の破片が崩れ落ち、その中から現れる人影。
 目に尋常でない光を宿し、血に塗れた顔で瓦礫から這い出る様は、さながら生ける屍のごとく。

「ひっ」

 あまりに異様な様子の勇斗に思わず声を上げるディアーチェ。

「は、放せっ、下郎がっ!」

 自らの足を掴む手を蹴り飛ばすと、ディアーチェは慌てて距離を取る。

「薄気味悪い……こやつ、本当に人間か」
「どっちかっていうとゾンビ?少なくとも人間じゃないよね」

 心底気味悪がるディアーチェにレヴィも頷く。
 散々な言われようだが、そんなことは勇斗の耳に入らず、ボロボロになりながらもなんとか立ち上がろうとする。

「本当に理解できませんね。あなたが立ち上がったところで何もできない。それは嫌というほどその身で味わったはずです。何故、立ち上がるのですか?」
「……できるか、できないか、じゃねぇ。やるか、やらないか、なんだ……よ」

 息も絶え絶え、満身創痍になりながらも、辛うじて立ち上がる勇斗。
 バリアジャケットはとうの昔にぼろ雑巾のようになり、全身に打ち身や擦り傷が見受けられる。勇斗のような特別な訓練を受けていない普通の人間では、立ち上がる気力さえ残らないはずだ。
 ――それなのに何故。

「質問を変えましょうか。どうして立ち上がれるのですか?」
「…………」

 シュテルの質問に勇斗は答えない。ただ、口の端を釣り上げて笑うだけだ。

「ふむ。精神が肉体を凌駕した……というやつかな?」

 今まで沈黙を保っていたフェリクスが、興味深そうに勇斗を見つめる。
 フェリクスの目から見ても勇斗の体は既に限界を超えているし、事実、気力だけが勇斗を支えていた。

「一つ、私から提案があるのだが、聞いてもらえるかな?」
「……言って、みろよ」

 ボロボロになりながらも、傲岸不遜な態度を崩さず、勇斗はフェリクスに先を促す。

「仲間の命と引き換えに君を見逃す……と言ったら、君はどうする?」
「お断りに決まってんだろ、ボケ」

 即答だった。

「理由を聞いてもいいかな?何がそこまで君を支えている?」

 そんな勇斗の返答に薄ら笑いを浮かべつつも、フェリクスは問う。
 少し傷めつければすぐにボロを出すものと思っていたが、中々どうして予想外に粘る。
 夢の世界で自分を一蹴したとはいえ、所詮はただの人間。ここまで粘るとは思っていなかった。
 先の問いにしても興味半分、からかい半分から出た言葉だが、まさか即答されるとは思わなかった。
 人間だれしも自分の身が一番大事なものだ。最終的な選択が同じだとしても、多少は葛藤を見せると思っていたが、それすらもない。
 ゆえに興味を惹かれる。何がこの少年の心を支えているのか。何をすればその心を砕けるのか。その心が絶望に染まった時、どんな表情を見せるのかを。
 
「飯がまずくなるから」
「……は?」

 勇斗が何を言っているのか、一瞬、理解できなかった。マテリアル達も同様に、毒気を抜かれたようにきょとんとしていた。

「仲間を見捨てたりしたら、次から食う飯がまずくなる。そんな後味の悪いことして自分だけ生き延びても、美味い飯の食えない人生なんてごめんだね」

 ――そして何より、あいつに、あいつらに胸を張って会える自分でいたいから。
 心の中で、そっと付け加える勇斗。
 倒れる度、心が折れそうになる度、勇斗の脳裏に響く声達が力をくれた。

  ――頑張って、ゆーと
    誰よりも愛しい人。彼女に誇れる自分であるように。
    心に浮かぶ彼女の笑顔があれば、なんだって乗り越えられる気がする。

  ――みんな一緒に帰ろうね
    交わした約束
  ――ゆーとくん
  ――ゆーと
  ――お兄ちゃん
  ――勇斗
  ――ゆうちゃん
    たくさんの自分を呼ぶ声。
    クライメイトや妹分、家族達の声。

 勇斗の妄想が生み出した、ただの幻聴に過ぎないその声達が、何度も脳裏に響く。
 立ち上がる力を。諦めない強さを与えてくれる。
 だから立ち上がれる。頑張れる。

「くくくっ、いいねぇ、君は」

 おかしくてたまらないといった風に、顔を掌で覆うフェリクス。
 そして口の端を釣り上げて嗤う。

「君の絶望に歪んだ顔……なんとしても見たくなった」
「俺が勝つから無理だ」
「その様でよく言う。奇跡でも起きない限り、そんなことはありえぬな」

 鼻で笑いながら魔力スフィアを発生させるディアーチェ。
 勇斗の覇気に、一時的に呑まれたものの、冷静に考えれば空元気がいつまでも続くものでもない。如何に精神が肉体を凌駕しようと、すぐに限界は訪れる。
 
「だったら、その奇跡を起こすまでだ!」

 痛む体に鞭打ち、再び駆け出す。

「なんの力もない塵芥風情が笑わせるな!我がそのふざけた幻想をぶち殺してくれるわぁっ!」

 無数の魔力弾を斉射するディアーチェ。
 身体中に奔る痛みを無視して勇斗は疾走する。
 気力で痛みに耐えたとしても、限度はあるし、子供の体に残された体力もそう多くない。
 賭けに出るならこれが最後のチャンス。残された全ての力を振り絞って、走り抜ける。

「ブレイカー!勇気はあるか!?」
『Such a thing is not necessary.I should have probability』(そんなものは必要ない。私には確率があればいい)
「確率は!?」
『0.000000125%』

 相棒から返ってきた答えに思わず頬が緩む。

「上等、行くぞ!」
『OK, Boss』

 可能性がゼロでないのなら、後はそこに全賭けするのみ。

「いやいやいや、ありえないから」
「単純な算数も理解できないほど愚かなのですか?」

 そんな二人の会話に思わず突っ込みを入れるレヴィとシュテル。
 無謀とか蛮勇といったレベルですらない。
 ディアーチェですら、呆然と攻撃の手を止めている。

「ふん、こんな言葉を知っているか……?」

 ディアーチェの攻撃を避けるために開いた距離を、この隙に詰めながら声高に宣言する勇斗。

「成功率なんてのは単なる目安だ、足りない分は勇気で補えばいい!」
「限度があるわっ!」

 突っ込みどころ満載の宣言に、思わず砲撃で突っ込みを入れるディアーチェ。

「あぶねぇっ!砲撃で突っ込むな!死ぬだろ!?」
「やかましいわ!」

 辛うじて砲撃を回避した勇斗に叫ぶディアーチェを横にぽつりと呟くレヴィ。

「知らなかった……勇気ってそんなことができるんだ」
「いえ、できませんから」

 すっかり勇斗のペースに巻き込まれているマテリアル達だったが、攻撃に晒されている勇斗は至って大真面目だ。
 幸い、ディアーチェが逆上しているせいか、その狙いが雑になり辛うじて回避を続けているが、その分、彼女らとの距離がまた開いてしまっている。
 遠距離攻撃手段のない勇斗はなんとしても距離を詰めなければならない。

「んなくそぉぉぉっ!」

 このまま避け続けても先にこちらの体力が尽きる。そう判断した勇斗は一か八かより前へと踏み込み――そこに迫るのは扇状に放たれた複数の魔力弾。
 左右前方に逃げ場はない。踏み込んだ勢いの為、後退することも不可能。

「くのぁっ!」

 反射的に上に跳ぶ。
 ディアーチェの口に笑みが浮かぶ。それはディアーチェからすれば格好の的。
 飛行魔法の使えない勇斗では、空中で身動きができない。勇斗お得意のフローターフィールドは展開、着地の二工程が必要で、この局面では確実に狙い撃たれ間に合わない。

「消し飛ぶがいい!」

 格好の的めがけて放たれる光の奔流。その軌道は空中の勇斗を確実に捉えていた――はずだった。
 突風が巻き起こった。

「なに?」

 ディアーチェの口から驚愕の声が漏れる。
 必中のはずの砲撃が避けられた――のみならず、的の背中にはつい先ほどまで存在しなかったものがある。
 ディアーチェと視線が合った勇斗の口の端が釣り上がる。
 勇斗の背中に広がる黒い翼――同じ黒でもはやてのスレイプニールのような羽根の生えた翼ではなく、蝙蝠や翼竜などのような膜状の翼――が打ち鳴らされる。
 それはこの半年間、勇斗がずっと練習してきた飛行魔法の成果。
 今まで一度も成功しなかったこの魔法がこの土壇場で成功したのは、追い詰められて極限まで研ぎ澄まされた勇斗の集中力と、勇斗に合わせて魔法プログラムの最適化を行ってきたダークブレイカーの力だ。
 まだ飛行と呼べるほどの効果は発揮できない。せいぜいが空中での姿勢を変えたり、滑空、移動スピードの増加程度のものだったが、勇斗にとっては大きな進化であった。

「ちぃ!」

 驚愕から立ち直ったディアーチェが攻撃を再開する。
 降下スピードを加速した勇斗は着地後、即座に疾走する。そのスピードは目に見えて速くなっている。

「確かに速くなったが……その程度ではなぁっ!」

 だが、いくら勇斗が成長したとはいえ、彼我の実力差を考えれば誤差の範囲でしかない上に、距離が詰まればその分、当てることは容易になる。
 牽制の一撃から続けて放った本命の魔力弾。今度こそ、回避は不可能。

「おおおっ!」

 それを悟った勇斗は突進の勢いそのままに体ごと旋回。左腕を真っ向から魔力弾に叩きつける。

「無駄だ!貴様程度の力では防げぬわっ!」

 ディアーチェの言葉通り、叩きつけた腕は振り切るどころか逆に押し返されようとしている。
 が、ここで押し返されては今までと何も変わらない。最後の賭けに出るには、ここが最初で最後の勝負どころだった。

 ――頑張って、ゆーと

 思い浮かべるのは、自らを奮い立たせる魔法の言葉。あの笑顔と言葉があれば、なんだって乗り越えられる気がした。
 道理も。無茶も。自分の限界も。どんな不可能さえも。

「――がああああああああぁぁぁぁっ!」

 咆哮と共に全ての力を左腕に集中させる。己の限界を超えて、腕を振り切る。
 魔力弾ごと地面へ腕を叩きつける。その衝撃に大地が爆ぜ、砂塵が辺りを覆う。

「あれを弾いた?」

 忌々しげに口を歪めるディアーチェ。無論、全力には程遠い一撃だ。だが、それでも勇斗の力では到底防げるものではなかったはずだ。
 新たな魔法を発動しただけでなく、魔力の出力自体もディアーチェの予想以上に増大している証拠だった。

「塵芥風情が!」

 取るに足らない存在であるはずの勇斗の抵抗が酷く癇に障った。自らの手で勇斗を屈服させなければ、この苛立ちは収まりそうにもない。
 視界を塞ぐ砂塵を吹き飛ばす。

「あれ?」

 素っ頓狂な声を上げたのはレヴィ。そこにあるはずの勇斗の姿がなかった。

「上か!」

 見上げた先には巨大な光刃――ザンバーフォームと化したダークブレイカーを掲げる勇斗の姿。
 その視線が見据えるのはマテリアル達の奥にいるフェリクスただ一人。最初から全力を込めた一撃を叩きこむ相手は決めていた。
 マテリアル達が守護騎士達と同じような存在なら、元を断たない限り復活する。――そう推測しての判断だった。

「フェリクスっ!」

 黒翼を打ち鳴らし、フェリクス目掛けて下降する。
 ディアーチェが撃ち落とそうと構えるが、当のフェリクスがそれを制す。
 フェリクス自身が迎撃するわけでもなく、ただ薄ら笑いを浮かべて勇斗の姿を見ていた。
 勇斗の左腕は先のダメージでせいで動かないのか、右腕一本でダークブレイカーを掲げる勇斗。
 自らが扱える全魔力を刀身へと集中する。その証拠に背部の黒翼は掻き消え、纏っていたぼろ雑巾同然のバリアジャケットすら解除され、自身の身長をも超える大きさの魔力刃へと魔力が収束していく。
 文字通り全ての力を込め、振り下ろす刃は――――何の成果を残すことなく止められた。

「――あ、ぐっ!」

 勇斗の口から失意の声が漏れ、すぐに苦鳴に代わる。
 全力を込めた刃は、片腕一本であっさりと止められ、カウンター気味にもう片方の手が勇斗の首を捉える。
 刃を掴んだ手を無造作に握るだけで、巨大な刃はあっさりと砕け、半ばから剣先までの魔力刃が消失する。

「残念だったね。如何に強大な魔力だろうと使いこなせばければ何の意味もない。もし、君がその力の半分でも扱うことができたなら、私を一度くらいは殺せただろうに」

 憐憫の意を込めて、勇斗の瞳を見つめる。
 この状況にあって、なお勇斗の瞳は闘う意思を失っていない。その精神力の強さには感心させられるが、所詮そこまでだ。
 想いだけでは何もできはしない。

「君には中々楽しませてもらったが、もう終わりにしよう」

 勇斗の体を釣り上げ、その体にもう片方の手を押し当てる。
 これまでのダメージに加えて、バリアジャケットなしに攻撃を受ければ、今度こそ立ち上がることはできないだろうという確信を込めて。

「ゲームオーバーだ」

 密着した手から放たれる魔力弾。その衝撃で、勇斗の体は大きく吹き飛ばされる。
 マテリアル達を飛び越えて吹き飛ばされる中、ゆっくりと勇斗の口が弧を描く。

「……?」

 シュテルは吹き飛ばされる勇斗の体を視線で追いながら、何か違和感に気付く。
 勇斗の手にしたデバイス――ダークブレイカーの魔力刃が完全に消失していた。
 ――確かにあの刃は主の手によって砕かれた。だが、鍔元から半ばまでの刃はつい先ほどまで残っていたはず。
 ただダメージによって消失したと考えるのが自然だったが、シュテルの中の何かが警告を鳴らしていた。
 何気なく視線を主に戻した先にその原因を見た。

 ――主の傍らに、切り取られたように浮かぶ魔力刃を。
   ――限界を超えて圧縮された魔力が、今まさに解き放たれようとしているのを

「防御を!」

 シュテルが叫んだその瞬間、魔力刃が爆ぜた。
 かつて時の庭園でプレシア相手に実行した自爆とは比較にならないほどの魔力暴走。
 その光はフェリクスはおろかマテリアル達まで飲み込み、その先にある勇斗の体すら捉える。
 勇斗の狙いは、最初からこの一撃だった。
 如何に自分の全力を振り絞ろうと、真っ向からの攻撃が通じるとは思っていなかった。
 相手の油断を誘い、不意を突く他に方法はないと。
 かと言って、相手に密着した状態で自爆しても、自分一人に意識が集中している状態ではその意図に気付かれる。
 また、今の自分が自分を中心にして魔力を暴走させればまず命はない。
 自分の命を犠牲にして、仲間を助けようとする自己犠牲精神など勇斗は持ち合わせていない。
 暴走を仕掛け、その上で自分が助かるためには、暴走の中心からある程度の距離を離す必要があった。
 フェリクスに接近した後、上手く距離が取れるかどうかは、完全に運任せ。
 作戦と呼ぶにはあまりにもお粗末で、成功率も限りなくゼロに近い代物だった。
 自らの暴走による光に飲まれながらも、勇斗は出来すぎな結果に笑いながら、意識を途切れさせた。




「やれやれ、最後の最後まで彼には驚かさせられる」

 暴走の光が収まったそこには、無傷で佇むフェリクスとマテリアル達の姿があった。

「あ、危なかったー」

 ぐいっと冷や汗を拭うレヴィ。あの時、シュテルの警告がわずかでも遅れていたら防御魔法が間に合わなかった。
 辺りの惨状を見れば、もし無防備な状態で暴走に巻き込まれていたら、少なくないダメージを受けていたのは間違いない。

「人の執念というものも侮れないものですね……」

 ただ想いの力だけでここまでできるのかと、シュテルは驚嘆を禁じ得ない。

「だが、それも全ては徒労に終わった」

 その視線が捉えるのは、爆心地から遠く、ゴミのように転がる勇斗の姿。
 元から着ていた衣服はボロボロになり、ピクリとも動かない。
 いくら爆心地から距離があったとはいえ、とても無事と言える状態ではない。

「自身の魔力で傷を負うとは……どこまでも愚かな奴よ。まだ息はあるか?」

 遠隔発生したバインドで勇斗を拘束する。両手、両足、胴体を拘束されるその様は、見えない十字架に磔にされたようにも見える。
 頭は項垂れたままだが、かすかに呼吸している様子が窺える為、死んではいないようだ。

「完全に意識を失っているようですね」
「あれ、どうするの?」
「決まっている。叩き起し、その顔を絶望と恐怖に染めてやる」

 レヴィの声にディアーチェはニヤリとした笑みを浮かべ、手をかざす。
 気付けの一発と言わんばかりに、魔力弾を撃ち放つ。
 ディアーチェの放った一撃がまさに勇斗に当たろうとしたその瞬間――真っ二つに切り裂かれた。

「貴様……」

 ディアーチェ達の目が驚きに見開かれる。
 翻るは黒い外套。金色に輝く刃を携えたフェイトが勇斗を庇うように立ち塞がっていた。
 立ち塞がっているのはフェイトだけではない。
 銀光が閃き、勇斗の戒めを断ち切る。
 シャマルに抱きとめられた勇斗を守るように、倒れていたはずの全員が並び立っていた。

「これ以上、勇斗には指一本触れさせない!」






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立ち向かう勇気と諦めない強さ。
繋いだ心と想いが更なる力を呼び、不可能を可能にする。
解き放つ力が剣となり、未来を切り開く。

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UP DATE 11/9/25

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