リリカルブレイカー
第27話 『俺が正義だ』
闇の書から放たれる光が明滅的に部屋を照らす。
それは幻想的とも言える光景だった。
だが、次の瞬間、本の表面に血管のようなものが浮かび上がり、本の内側から外へと食い破ろうとするかのごとく脈動を始める。
僅かの間を置いて、闇の書を縛る鎖がはじけ飛び、開かれた本の頁が自動的にめくられ、それがまた突然に閉じる。
その異様な光景にはやては驚きと同時に恐怖を感じ、その手が自然と隣に座る勇斗へと伸ばされる。
自らの手に、はやての手が重ねられたことを気付きつつも、勇斗は闇の書から目を離せない。
あらかじめ知ってはいても、実際にこうして自らが立ち会えば、否がおうにも緊張を強いられる。
知識通りのことが起きたことに対する感慨と、本当にここから先は自分の知っている通りに展開するのかという疑惑。
様々な感情が入り混じった気持ちのまま、闇の書をじっと見つめ続ける。
『Anfang』(起動)
闇の書がその無機質な言葉と共に一層強い光を放ち、それと共鳴するようにはやての胸からもリンカーコアが浮かび上がる。
「ふぇっ!?」
「大丈夫」
突然の事態に怯えるはやてを安心させるように、はやての手を握る勇斗。
そのことにはやてが安堵するのも一瞬、次の瞬間には幾何学的な模様の光――ベルカ式魔法陣が浮かび上がり白い光が部屋の中を満たす。
光が収まった後、恐る恐る目を開けたはやては小さく息を飲む。
紫の光を放つ魔法陣を背後に、四人の人影があった。
長い髪の女性と短い髪の女性、小柄な少女。そして鍛え抜かれた肉体に獣の耳と尾を持つ男性。
四人ともが黒く袖のない薄手の衣服に身を包み、自らの主たる少女へ片膝を着き、頭を下げていた。
はやては一連の光景に目を奪われ、そっと彼女の手を離した勇斗はカメラのシャッターを押す。
新たなる主に忠誠を誓う言葉――――これまでに幾度も繰り返した宣誓を行おうと将たる女性が口を開きかけたその瞬間。
クラッカーが打ち鳴らす音と、そこから放たれた紙が四人へと降り注いだ。
それも一発ではなく、二発、三発と連続し、最終的に計六発ものクラッカー音が打ち鳴らされた。
それを為したのは勿論、勇斗とそれに釣られるようにしてクラッカーを手にしたはやてである。
テーブルの上には使い捨てられたクラッカーの残骸が転がっている。
「ほ、ほんまに人が出てきよった……」
いつの間にかテーブルに並べられていたクラッカーを全て打ちつくした後、今更のように呆然と呟くはやて。
「だから言ったろうが。これからはもっと俺のことを敬い奉れ」
「意味わからへんがな」
「まったくだ」
「って、自分で言ったんやろ」
「そうだっけ?」
「ボケたおすのも程ほどにしとき」
「あいにくと、俺の専門は突っ込みでな」
「どの口で言う。少なくとも今の流れは十分過ぎるほどボケボケや」
「知らんがな」
突然、漫才を始めた二人に置いてけぼりを食らったのは闇の書から現われた四人――闇の書の守護騎士ことヴォルケンリッター達である。
随分と長い時間を過ごしてきた彼女らだが、クラッカーで出迎えられ、自分達のことを置き去りにして漫才を始めるような主は見たことがなかった。
「つーか、さっきからみんな、呆れたようにこっちを見てるわけだが」
「あ」
呆けたように自分達を見るヴォルケンリッター達を勇斗が指差すと、思い出したように声を上げるはやて。
予想外、というかこの突飛な事態にはやて自身、随分と平静を失っていた。
「え、えっと、どないしよっ!ええと、こういうとき何から始めたらええんやろっ」
「とりあえず落ち着け。俺が人数分のお茶菓子用意しとくから自己紹介あたりから始めとけ」
「あ、うん。そやな。えー……と、それじゃ皆さん、適当に椅子に座って楽にしてください」
はやてがある程度落ち着いたのを見計らって勇斗はキッチンへと足を運び、闇の書から現われた四人――闇の書の守護騎士達は、はやてに促されるまま、狐につままれたような顔でそれぞれの席に着くのであった。
「つーか、さっきから当たり前のようにいるけどおめーは何者だ?」
主であるはやてに一通りの説明を終えた後、当然のように同席してお茶を啜ってる勇斗を睨みつける小柄な少女――鉄槌の騎士ヴィータ。
闇の書とその主を守る守護騎士であるヴォルケンリッター達からしてみれば、部外者かつ人柄もわからない人物に事情を説明することはしたくはない。はやての鶴の一言でなし崩し的に自分達のことを明かすことになってしまったが、いつまでも看過できる事柄でもない。
「おかまいなく。ただの通りすがりの小学生です」
「この世界の通りすがりは当然のように人の家でお茶を啜るものなのか」
「その通りだ。覚えておけ」
長い髪をポニーテールに結った女性――シグナムの射抜くような視線に表面上は無表情で答える勇斗だが、内心では大いにびびっている。
虚勢を張ることに関しては、一人前の勇斗だった。
勇斗の扱いをどうしたものかと思案したヴォルケンリッターたちは顔を見合わせ、その視線が伺いを立てるようにはやてに集中する。
「ソレの言うことは話半分で聞き流しといてええよ。色々得体の知れない物体やけど無害やから」
「うわぁい。さり気なく物凄く酷いこと言ってらー」
「あはは、冗談冗談。こんなでも私の友達や。名前は遠峯勇斗くん。一応、みんなと同じ魔導師?」
「そこで疑問系かよ、こんちくせう」
はやてが口にした魔導師という言葉に、ヴォルケンリッターたちの視線が瞬時に勇斗へと集中する。
敵意こそ表に出さないものの、勇斗に対して警戒心を向けているのは明らかだった。
その態度に表面上はなんともない風を装い続ける勇斗だが、内心ではガクガク震えださんばかりに戦々恐々である。
自分達は魔導師ではなく騎士です、と訂正の言葉を飲み込んだシグナムが静かにはやてへ問いかける。
「主はやて。先ほどこの世界に魔法は存在しないと伺いましたが」
「あー、そうなんやけど。この勇斗くんとその友達のなのはちゃんって子はなんや色々あって魔法使えるようになったんやて」
「まー、そゆこと。で、こいつが俺の相棒、ダークブレイカー」
『Hello』
腰のベルトからダークブレイカーを外して騎士達に見せる勇斗。
「あ、管理局に告げ口したりとかしないからその辺は心配しなくていいよ」
その発言に騎士たちの警戒心がますます強くなる傍ら、はやては不思議そうに首を傾げる。
「なんでそこで管理局が出てくるん?」
以前、勇斗から聞いた話で管理局が警察のようなものだとは理解している。が、それがどうして今ここで話題に上るのか。
「や、だって蒐集ってのはいろんな人や生き物襲ってやってるんだから通り魔みたいなもんだろ。ふつー今までの前科で指名手配されてるだろ」
「おお」
「……通り、魔」
納得するように手を打つはやてとは対照的に引きつった顔で呟く金髪のショートボブの女性――シャマル。
騎士であるという誇りと自負を持つヴォルケンリッター達にとっては、些か以上に不本意すぎる呼ばれ方だったようで、シャマルだけでなく他の面子の表情もどこか引き攣っていた。
とはいえ、やっていることそのものは、確かに通り魔と大差ない以上、面と向かって反論もできず、震える手を握り締めながらぐっと言葉を飲み込む。
そんなヴォルケンリッター達に追い討ちをかけるように更なる爆弾発言が投下される。
「せやけどそうなると困ったなー。この場合、やっぱり自首とかせなあかんのかな?」
「じ、自首!?」
はやての何気ない一言で慌てたのはヴォルケンリッター達である。
先ほど闇の書の説明をした際、主であるはやてから蒐集行為をしないよう"お願い"された。
自分は闇の書の完成によって得られる力なぞ望んでいない。ましてや人に迷惑かける行為など絶対にしてはならないと。
過去にそんなことを言う主は存在せず、自らの所有物である自分達に、"命令"ではなく"お願い"をしたのだ。騎士達がはやての発言に驚きを通り越して呆然とさせたのがほんの数分前のこと。
が、今度は蒐集の禁止どころか過去に敵対したこともあった管理局への自首発言である。
ヴォルケンリッターの面々が受ける衝撃は如何ほどのものか。
予想だにしない発言の連続にもはや思考回路は停止寸前である。
が、幸か不幸か、ヴォルケンリッター達の硬直は勇斗の忍び笑いによって短時間で解かれることになる。
「いいんじゃねーの。過去のことは気にしないで。大事なのは今とこれから、だろ?」
シグナム達が唖然とする様に笑いを堪え切れなかった勇斗が笑いながらそんなことを言い出した。
「せやかてなぁ」
生真面目で責任感が強く、頑固なのがはやてである。
管理局のことを知らなければ。勇斗の発言が無ければ、こんなことを悩むこともなかっただろうが、勇斗の言うとおり過去にヴォルケンリッター達が罪を犯し、その罪を裁く組織が存在するというのであれば、自首して罪を償うのが筋だろうと考え込んでしまう。
だが、出会ったばかりとはいえ自分は主として、ヴォルケンリッター達の面倒を見ると決めたばかりだ。その自分が騎士達をそのまま管理局に引き渡してしまう行為は正しいのか。
どうするのが一番正しい選択なのか。そう簡単に答えが出そうにもない難問にはやてはうーんうーんと唸り、騎士達は途方に暮れたように自らの主を見守っていた。
主を悩ませている原因が自分達の過去の行いである以上、下手な口出しをすることをすることも躊躇われる。
彼女らは闇の書の主の命に従うプログラムに過ぎない。主に自主しろと命じられればそれに抗う術はない。
どうにもこの新しい闇の書の主は、自分達の調子を狂わせてしまうと心ひそかに嘆息するシグナムであった。
真面目過ぎるはやてとそれに振り回される守護騎士達の反応に、自然と口の端が釣り上がる勇斗。
もう少し、この光景を眺めていたいが、時間的にそれも厳しい。
ひとまずこの場の収拾をつけるために口を開く。
「シグナム達は主の命令に従っただけだろ。主の命令に逆らえかったんだから情状酌量の余地あり。だから今は執行猶予期間。OK?」
「んーん?」
勇斗の言うことになるほどと思う反面、それはただ自分にとって都合の良い解釈をしてるだけではないかと思ってしまう。
そんなはやてに決断を促すように勇斗は問いかける。
「返事は、“はい”か“イエス”でお答え下さい」
「選択肢ないし」
「ちなみに答えは聞いてない」
「めっちゃ矛盾しとるがな」
「はっはっはっは」
「笑って誤魔化すな」
「これが……夫婦漫才……?」
「それはちが……くないのか?」
シャマルと獣耳の男性――ザフィーラは首を傾げ、シグナムとヴィータは微妙な表情で主とその友人を眺めることしかできなかった
「と、いうわけで今後無理やり蒐集しない限り、ヴォルケンリッター達は無罪」
「……なんでそんな自信満々に断言できるん?」
ふふん、と不敵な笑みを浮かべながら断言する勇斗をジト目で見つめるはやて。
そんなはやての視線に勇斗は躊躇い無く、迷いなく、きっぱりと答える。
「俺が正義だ」
その発言にはやてばかりか騎士たちまでもが「うわぁ」という呆れの感情を込めた視線で勇斗を見る。
それに若干気まずさを感じたのか、勇斗は頬を掻きながら改めて口を開く。
「まぁ、シグナム達は主の命令に逆らえないようになってるんだからそれぐらいは仕方ないさ」
シグナム達ヴォルケンリッターは魔法技術によって生み出された疑似生命――魔法生命体である。
それゆえ、定められたプログラムに逆らうことはできないようになっている。
たとえ、どんなに歴代の主達に蔑まれ、道具扱いされようともその命には逆らえず、ただただ闇の書を完成させるための道具として。
しばし沈黙していたはやては、改めてシャマル、シグナム、ザフィーラ、ヴィータと、自らの守護騎士と名乗る人物へと視線を移していく。
先程までのシグナム達の話で彼女らが魔法生命体であり、主の命に従う存在であることは聞いている。
主の名に逆らうことができないということも、明言はされていないが、勇斗の語ることに何の異論も挟まないと言うことは真実なのだろうと理解する。
「ま、どうしても気になるってんなら、そのうち俺からクロノ――管理局の執務管に話つけるよ。あいつは話のわかる良い奴だから、騎士たちにも悪いようには
しないよ。ただ、しばらくはシグナム達のこと知っておけ。お互いのことよく知って、話し合って、それから決めればいいさ。というかそうしろ」
「なんで最後に命令してんだ、おまえ」
勇斗の後押しするような言葉と、それに噛み付くヴィータにくすりと笑みを零すはやて。
言い分はかなりめちゃくちゃに聞こえるが、一理ある。
彼の言うとおり、主である自分は騎士たちのことをよく知らなければならない。
贖罪をするのは、それからでも遅くはないはずだ。
やがてはやては諦めたようにそっとため息を付いて口を開いた。
「――そか。そんなら仕方ないかな。自首はひとまず保留や」
そんな言葉とは裏腹にはやての表情は嬉しそうに緩んでいた。
それを確認した勇斗も満足そうに頷く。
「ん、仕方ない」
ひとまず自分たちが管理局に自首という事態は避けられ、こちらも心密かに安堵するヴォルケンリッター達だが、内心では大いに勇斗に対する疑念と警戒を強くしていた。
――この少年は何者なのか?
自分達に対する認識が、あまりにも正確過ぎる。管理局の自分たちに対する姿勢、そして自分たちが主に逆らえないということを確信している態度など、先に自分達がした話だけでは説明できない。
闇の書の覚醒の場に立ち会っていたことも含めて、騎士達が勇斗を警戒するには十分過ぎる理由があった。
あらかじめ闇の書を含めた自分たちのことを調べ、何らかの目的を持ってこの場にいるとしか考えられない。
もっとも、その目的までは皆目見当が付かないのだが。
主とのやりとりを見る限りでは悪意のようなものは感じられず、主自身もまた心を許しているように見える。
どのように対応すべきか、騎士達は互いの視線を合わせながらも結論を出すことができない。
「さて、俺はそろそろおいとまさせて貰うよ」
そう言って立ち上がる勇斗。
「あれ?泊まってかへんの?」
「そうしたいのはやまやまだが、勝手に抜け出してきたのバレたら俺がピンチ。主に今後の自由とか説教的な意味で」
「あ、そか。そんなら仕方ないなー」
はやてからすれば、引き止めたい気持ちはあったが、勇斗の事情を鑑みれば仕方ない。
「学校が終わったらまた来るよ。ちゃんと今日の夕方以降は予定空けてあんだろ?」
「え?」
勇斗が言っている言葉の意味が一瞬理解できず、きょとんとした目を向けるはやて。
芳しくない反応をするはやてに勇斗は呆れたようにため息をついて言った。
「や、おまえの誕生日会やるっつったろ。忘れたとか言ったら泣くぞ」
そこまで言われて、やっと、はやては勇斗の言いたいことが理解できたと同時に、自分の誕生日が忘れられてなかったことに嬉しさが込み上げて来る。
ただ、それを態度に出すのがなんとなく悔しかったので、笑顔で本心とは別のことを口走っていた。
「忘れたから泣け」
「おまえの血の色は何色だ」
仏頂面で睨む勇斗と楽しそうに笑い出すはやて。そんな二人を、なんとも言えない面持ちで見守るヴォルケンリッターであった。
「しかし、こんな夜遅くにゆーとくん一人で帰すのも心配やなぁ」
勇斗を玄関まで見送りに来たはやてがぼそりと呟く。
「なめんな。家に帰るくらい一人で十分だっての」
「今日まで行方不明になっとったお子様が言っても何も説得力がないことについて一言」
「…………」
ぐぅの音も出ない勇斗だった。
「そんなわけで申し訳ないけど、誰かゆーとくんを家まで送ってあげることお願いできんかな?」
はやての言葉に、ヴォルケンリッターたちは顔を見合わせ、シグナムが一歩前に進み出る。
彼女らにしてみれば勇斗の真意を探る願ってもない機会だった。
「ならばその役、私が引き受けましょう」
「うん、いきなりこんなこと頼んでごめんな、シグナム。ゆーとくんのことよろしく」
「は、お任せください」
はやてがシグナムと話す様を見ながら、よくもまぁ、そんな平然とタメ口で話せるものだと感心してしまう勇斗。
八神はやてという少女は決して礼儀知らずでも世間知らずでもない。
普通、いきなり本から見ず知らずの得体の知れない人間が出てきたとして、ほんの僅かの時間でこうまで普通に接することができるものなのだろうかと思う。
闇の書を通じて、騎士達となんらかの精神的なリンクがあるのか、子供ゆえの無邪気さ、はたまたはやての適応力が並外れて高いのか、単に大雑把なだけなのか、判断のつけようはなかったが、いずれにしろはやてという少女の懐の広さを再認識する勇斗であった。
それに引き換え、とその視線を騎士達に移す。
はやてとの会話中もほとんど口を挟むこと無く、ずっと自分を警戒するような視線を送られていた。
自身の言動を鑑みれば当然といえば当然なのだが、それ以上に感情を表に出すこと無く、必要以上に他者を拒絶するような雰囲気が漂っていたように思える。
これがはやてと関わるうちに、態度が軟化し、シャマルはうっかり、ヴィータがツンデレ、ザフィーラが子犬モードとそれぞれ変化していく様を思うと自然と頬が緩んでしまう勇斗。
「何見てんだテメー」
その笑みに気付いたヴィータが、見世物じゃないとばかりに勇斗睨みつけるが、それも束の間。
「こーら。そんなこと言うたらあかんよ」
「あう」
すかさずはやてがヴィータのおでこを軽くこずき、それがまた勇斗に小さな笑みを浮かべさせる。
「じゃ、また明日……や、もう今日か。また夕方にな」
「ん、また後でなー」
「おー、風邪引くなよー」
「そっちこそまた迷子ならんようになー」
「……おうよ」
楽しそうに手を振って見送るはやてとがっくり項垂れて見送られる勇斗。
しばらくは同じネタでからかわれることを嘆く少年と、良いネタができたとほくそ笑む主たる幼き少女。
そんな二人を見る騎士達の目はやはり、なんとも言えない微妙なものだった。
シグナムと勇斗。
どちらが喋ることもなく淡々と道を歩くこと数分。
「遠峯」
「あのさ」
口を開いたのはまったく同時だった。
見上げる勇斗と見下ろすシグナムの視線が交差する。
「先にいい?」
「あぁ」
シグナムの許可を得たものの、どこから話すべきか迷うように頭を掻く勇斗。
急かすことなくたた無言で隣を歩くシグナムにどこか既視感を覚え、それがいつぞやになのはを家まで送っていったときのことだと思い出す。
あの時もなのはを送り届けた後、彼女の姉に送られていた。
ほんの数ヶ月前までは平凡な生活を送っていたはずなのに、最近では随分と様変わりをしたものだと自然に苦笑が漏れてしまう。
「どうした?」
「や、なんでもな……じゃ、なかった」
こほんと軽く咳払いして仕切り直す。
ただ、これから言う言葉がどうにも自分にあってない気がして、最初の一言が切り出しにくく目が泳いでしまう。
が、このまま黙っているわけにもいかず、シグナムの前に回りこみ、意を決して口を開く。
「はやてのことよろしく頼む」
そんな勇斗の言葉が予想外だったのか、シグナムは意表を突かれたような顔で足を止める。
「って、まぁ俺に言われるまでもないだろうけど」
やはり柄でもないことを言ったという自覚があるのか、すぐにシグナムから顔を逸らして頬を掻く勇斗。
そんな勇斗が可笑しかったのか、シグナムの口にわずかに微笑が浮かぶ。
「無論だ。主を守るのが騎士の務め。心配は無用だ」
月光の元――静かに、だが力強く宣言するシグナムの姿は見るものに威厳を感じさせ、例えようのない美しさを誇っていた。
「……どうした?」
「えっ、あ、いや、何でもない何でもない!」
まさか見惚れていたと告げるわけにもいかず、慌てて手を振る勇斗。
ただでさえシグナムは並外れた容姿を誇っている。そこにほんのわずかとはいえ、微笑みというスパイスが加われればその美しさは言うに及ばず。
勇斗が見とれてしまうのも無理はなかった。
もっとも、この季節に黒のノースリーブにミニスカートという出で立ちは酷く不自然ではあったが。
「?」
そんな勇斗の態度に首を傾げるシグナムに、不覚にも更にときめいてしまう勇斗であった。
遠峰勇斗。過去に惚れた異性は全て一目惚れである。
「いや、えと、そんなことよりそっちも言いたいことあるんだろ?」
「あぁ、そうだったな。お前に少々訪ねたいことがある」
シグナムの言いたいことを察したのだろう。
勇斗も顔を引き締めて口を開く。
「なんで俺がシグナム達のことを知っているのか、だろ?」
「……ほう」
自らの言いたいことを察知したらしい勇斗に思わず感嘆の声が上がる。
主であるはやてとのやりとりを見る限りではただの間の抜けた子供にしか見えないが、予想外に頭が回るようだ。
そしてますます疑念と警戒を強めていく――いつでも、自らの武器たるデバイスで斬りかかれるように。
「お察しの通り、俺はあんた達のことを知ってる。闇の書のことも含めて、な。それもあんた達以上に」
「貴様の目的はなんだ?主はやてが闇の書の主と知って近づいたのか?」
チャキ、と自らのデバイスである剣――レヴァンティンを実体化させ、剣先を勇斗の鼻先に突き付ける。
自らに突きつけられた剣先とシグナムから発せられる威圧感。極めて小さい範囲だが結界も張られていた。
それだけで勇斗は腰が抜けてしまいそうになるが、胆力を振り絞って辛うじて耐え続ける。
「半分当たりで半分ハズレってとこかな」
勇斗のその言葉にシグナムは目を細め、無言のまま先を促す。
「はやてと知り合った時に闇の書の主だってことは知ってた。けど、あいつと友達になったのはそれが理由じゃない」
じゃあ、何が理由かと問われると、勇斗自身明確な答えは持っていなかった。
単なる同情や憐憫とも言えるし、興味本位も無かったとは言い切れない。
だから頬を掻きながら勇斗は思ったままを口にする。
「放っておけなかったってとこかな。あいつにこれから起こることを知ってて、何もしないってのはどうも寝覚めが悪くなりそうで」
なのはのジュエルシード集めに協力したときもそうだった。
あの時から自らに大した力がないことは自覚している。だから積極的に魔法の世界に関わろうは思っていなかった。
無論、魔法に対して興味を抱き、機会があれば接してみたいという相反する思いも抱いてはいたが。
何より、本当に自分が知っている通りの出来事が実際に起こる保証も無かった。
結果として興味本位の行動故に、自分から首を突っ込む形になってしまったが。
力が無いことを理由にいつでも魔法の世界から手を引くことはできた。それをしなかったのは、自身が魔法を使ってみたいという欲求に抗えなかったから。。
だが、一番の理由は今、口にしたように事情を知ってなお知らない振りをすることが自分にとって後味が悪かったからだろう。
まだこれが自分にとって関わりの薄い、もしくは遠くの出来事ならば気にすることはなかったかもしれない。
しかし、勇斗にとって高町なのははれっきとしたクラスメイトであり、八神はやては彼の手が届くところにいた。
ただ、それだけの話である。
「こんな言葉じゃ納得しないだろうけどさ。こんな道端で全てを話すにはちと長い話になる。できれば一週間くらい後でゆっくり話したい」
はやても交えてな、と付け加える。
勇斗にとって一週間という期間はヴォルケンリッター達がこの世界、引いては新しい主のことを理解するための時間である。
勇斗の知っている全てを話すにしても、今の状態より、はやてと接し騎士達自身が心象的に変わってからの方が良いと判断した為だ。
「その間に貴様が主によって良からぬ行動を取らないという保証は?」
シグナム自身、勇斗が嘘をついているようには見えないし、悪意も感じ取れなかった。
先の言葉からも、本気で主であるはやてのことを案じているようにしか思えない。
だが、自分たちに関する詳しい事情を知りつつ、管理局に繋がりのある人間をおいそれと信じ、放置することもできなかった。
切っ先を突きつけたまま、勇斗の返答を待つ。
「少なくとも保証できるもんは持ってないな。まぁ、はやてに対し何かやるってんならとっくにやってるだろうけど」
そんなシグナムに苦笑しながら答える勇斗。自分の言動を鑑みれば、元よりこの展開は予測の範囲内である。
それゆえ、内心で怯えることはあっても動揺することはない。
「処遇はシグナムに任せる。24時間監視付けるのでもいいし、魔法かなんかでいつでも俺の命を断てるようにしてくれてもいい」
だからこの場で即殺すのは勘弁な!と冗談交じりに言う。
無論、冗談交じりに言ったものの、本当に殺されては叶わないので本心からの言葉であるが。
「…………」
無言のまま勇斗を見据えながら思考するシグナム。
先程から勇斗の体は恐怖のためか、細かく震えていた。
顔面蒼白となりながらも、これだけの口が叩けるのはある意味大したものだとも思う。
これが演技ならば、この少年は魔導師よりも俳優の素質があるだろう。
やがて、シグナムはゆっくりとレヴァンティンを下ろし鞘に収める。
それに勇斗がホッと安堵の溜息をついたのも束の間。
自身の周囲にベルカ式魔法陣が浮かび上がったことにギョッとする勇斗。
そのベルカ式魔法陣が自らの腕に巻き付くように収束し、キンっという音と共に消失する。
「おまえのことを監視するための術だ。おまえが不審な行動をしない限り害はない」
「不審な行動したらその場でお陀仏ってとこかな?」
実際はシグナムにそこまでの魔法は使えないのだが、あえて詳細な効果を教える必要もない。
さてな、と小さく答えるに留める。
シグナム自身は目の前の少年をまだ信用も信頼もできない。
が、相手の思惑も目的も見えない以上、安易に手を出すことは憚れた。
自分達以上に自分達のことを知っていると言う言葉も気にならないと言えば嘘になるだろう。
主であるはやてがこの少年を信頼しきっているということも考慮し、下した判断は条件付きの保留。
この少年が何か良からぬことを企んでいるとしても、わざわざ自分達の前に姿を表すメリットがない。
一週間という期間が気に掛かるが、その程度で何ができるとも思わない。
自分達のことをあらかじめ知っていたのならば、闇の書が覚醒する前に行動を起こすことも十分可能だったのだから。
レヴァンティンを待機モードに戻し、結界も解除する。
「少し時間を食ってしまったな。おまえの家まではまだかかるのか?」
シグナムの口から出たのは、結界内での会話とまるっきり繋がっていない言葉だった。
ひとまず、自分の安全が保証されたと判断した勇斗は、安堵の溜息をつくと同時に、気の抜けた反動でへなへなと座り込んでしまう。
「フッ。度胸があるのか、ないのか。よく分からない奴だ」
そう言って苦笑するシグナムはそっと勇斗へと手を差し伸べる。
「やー、なにぶん素人なもんで。場慣れもあんましてないのさ」
シグナムの手に掴まりながら立ち上がる勇斗。腰が抜けていなかったのは僥倖といえたかもしれない。
「じゃー、まぁ、とりあえず俺のことは置いておいて。もののついでに相談というか頼みたいことがあるんだけどいいかな?」
「ほう?」
ニヤリと笑う勇斗に、シグナムは興味深げに頷いた
■PREVIEW NEXT EPISODE■
ヴォルケンリッターとの邂逅を果たした勇斗。
だが、それは一つの始まりに過ぎなかった。
一つの出会いがまた新たな出会いを呼び、更なる物語を紡ぐ。
勇斗の企みはまだ終わっていなかった。
なのは『私、なのは。高町なのはです』
UP DATE 10/2/24
#############