リリカルブレイカー

 

 

 第26話 『あんたを殺すわ』

 


 すずか、なのは、アリサの三人は、月村邸にていつも通りのお茶会を開いていた。
 いや、いつも通りというには些か語弊があるか。
 普段であれば笑顔で談笑している少女たちの表情は曇り、誰が話題を振ってもそれに返す言葉は常より少なく、盛り上がることなく交わす言葉が潰える。
 今もまた、すずかが読んだ本の話題を振ってみたのだが、友人二人の返事はうわの空である。
 すずかは今日、何度目かになるため息を静かについた。
 自分も含め、友人たちの表情が曇っている原因は一つしかない。
 クラスメイトが行方不明をという事実。
 それも最近になって行動する機会が増えた、仲の良い友人であればなおのことだろう。
 遠峰勇斗。それが行方不明になった友人の名前である。
 彼が行方不明になったと担任から告げられたのは昨日の朝。それから既に一日以上が経過しているが、彼が見つかったという連絡は来ていない。
 いつも通り友人二人を誘ってみたまではいいが、自分も含めてとても楽しく語らえるような雰囲気ではない。
 アリサはどこか不機嫌そうな顔を隠しもせず、なのはの表情も深く沈んでいる。きっと自分も似た様な顔をしているだろうなと、すずかは思う。
 すずかにとって遠峰勇斗という少年は少し変わった存在であった。

 クラス内において特別に目立つ人物、というわけではない。
 友達付き合いは人並みだし、彼自身が何か問題を起こすこともまずなかった。
 学力に関してはアリサと学年一位を争う程ではあるが、運動神経に関しては並。
 授業中に積極的に手を上げて回答するわけでもなく、体育でも目立った活躍があるわけでもない。クラス内では口数も少なく、最初は無口な印象が強かった。 実際は無口というより内弁慶なだけで、気に入った相手にはその限りでないことを知ったのは、入学してしばらくのことである。
 物事を率先してやるタイプではなく、むしろ面倒なことは人に押し付けて何かとサボろうとする。一時期、学業に関してもその傾向が見られ、アリサと一悶着起こしたこともあった程だ。
 クラス内で揉め事があっても、基本的には我関せずと素知らぬ顔をする。
 そのくせ、クラスメイトが困り果て、本当にどうしようもなくなったときにだけボソッと呟いて解決策を提示していったりと、他の人が目の届かない所に目が届くというか、他のクラスメイトが見落としがちなところはさり気なくフォローしているという有様。
 面倒見がよく、率先してリーダーシップを取るアリサが表のリーダーとすれば、目立たないところで影でこっそりと動く勇斗は影のリーダー、否、裏方と言うべきか。
 そして時折、見ているこちらが不安になるくらい遠くを見つめる視線。
 出席番号が隣同士と言うこともあったが、すずかが勇斗に対して興味を抱き、観察するようになったのは、同年代の少年とは違った何かを感じとったからかもしれない。
 いつでもどこでも自信に満ち溢れた言動と、一歩引いた立ち位置で自分やクラスメイトを見る視線が、どこか姉や友人の兄と似通っていると気付いたのは最近のことである。
 そんな彼が行方不明になったと聞いても、すずかにはどこか信じられず、実感を得ることができなかった。
 彼の名前を呼べば、何事も無かったかのように姿を現して返事を返してくれるのではないか。そんな錯覚すら覚えてしまうほどに。
 そう、まさに今、すずかの目の前でこそこそとアリサの背後に回る少年のように。

「……!?」

 思わず両の目を両手でこするすずか。再び目を開けた時、そこに少年の姿はない。

「すずかちゃん?」
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない。ちょっと疲れてるのかな」
「?」

 すずかの不審な挙動に顔を見合わせるなのはとアリサは揃って首を傾げる。
 そんな二人に乾いた笑いを浮かべながら、誤魔化すように手元の紅茶へと手を伸ばす。
 既に温くなった紅茶を口に含みながら思案する。
 勇斗がこんなところにいるはずがない。彼が無事なら真っ先に無事だという連絡をくれるはず。わざわざここまで来ていたずらを仕込んだりは――

「むしろ率先してやりそうだなぁ……」

 溜息と共に、ティーカップを置く。
 そう思った途端、先程見た勇斗は幻覚でも気のせいでも無く、本物の勇斗であるという確信がすずかの中に生まれてしまった。
 ――いる。勇斗は必ずこの近くに潜んでいる。
 世の中には二種類の人間がいるのだ。ネタの為に体を張る人間とそうでない者。勇斗は間違いなく前者である。

「だから何の話よ?」
「えっとね、ゆーとくんのことなんだけど」
「ゆーとくんが?」

 なのはとアリサが首を傾げたその瞬間――

「にゃー」
「いてっ!?こらこら、たかるな、登るな、爪を立てるなーっ!!」

 アリサが座る椅子の裏で、子猫たちにたかられる勇斗のが声を荒げていた。

「ゆーと、くん?」
「……あんた、そんなとこで何やってるの?」
「……はぁ」

 なのはは呆然と。
 アリサは声を震わせながら。
 すずかはため息をつきながら。
 三人の視線が勇斗へと集中する。
 勇斗にたかっていた猫達は、場の雰囲気を読み取ったのか、逃げるように散っていった。
 三人に気付かれたことであからさまにしくじったと渋面を作る勇斗だが、それも一瞬、胸を張って答えた。

「アリサを脅かそうとしたら、猫の襲撃を受けて困り果ててた!」
「胸を張って言うことかぁぁぁぁっ!」
「っていうか、なんでそんな平然といつもどおりなのっ!?」

 アリサに胸倉を掴まれ、なのはに詰め寄られる勇斗。すずかも彼女にしては珍しく、呆れと非難の入り混じった視線で勇斗を責め立ていた。
 それに対し、勇斗は軽く息をつき、すぐに頭を下げた。

「心配かけて本当に済まなかった。本当にすまん」

「え……?」
「うそ……っ?」

 勇斗が素直に頭を下げるという事態に思わず動揺するアリサとなのは。
 誰に言われるまでも無く、自発的に勇斗が頭を下げて謝罪する。
 てっきりいつものように茶化して有耶無耶のうちに自分のペースに持っていこうとするだろうと思っていただけに、二人にとっては天地がひっくり返らんばかりの衝撃だった。
 無意識の内に一歩、二歩と後退してしまうほどに。

「二人ともその反応はちょっと酷いよ」
「流石の俺でもちょっと傷付くぞ」

 二人のあんまりな反応にすずかは苦笑し、顔を上げた勇斗も乾いた笑いを浮かべていた。

「いや、だって……」
「ゆーとくんだもんねぇ?」
「せっかくいの一番に無事を知らせに来たのにこの扱い。俺、もう帰っていいかな」

 ポンポンとすずかに肩を叩かれる勇斗の背中にはなんともいえない哀愁が漂っていた。

「だ、だったら、普通に出てきなさいよっ!普通に!私達がどんだけ心配してたと思ってるのよ!」
「そ、そうだよっ!みんなすっごく心配してたんだよっ!」

 珍しくしおらしい勇斗に、流石に言い過ぎたと思ったのか慌てて弁解するアリサとなのは。

「顔出そうと思ったら、葬式とかお通夜みたいな雰囲気だろ?そんなところに普通に出てくのもなかなか気が引けるぞ」
「……う」

 そう言われてしまうと、アリサ達には自分たちが落ち込んでいたという自覚があるだけに返す言葉がない。
 そして普段のように淡々とした、もしくはニヤニヤとした表情の勇斗なら、まだ違った態度が取れたかも知れないが、今の勇斗はしおらしいどころか、どこか落ち込んでいるように感じられ、それが一段とアリサ達の調子を狂わせる要因となっていた。

「でも、心配してくれたのは嬉しかったよ。ありがとう」

 極めつけにこの言葉である。ストレートな言葉と普段とのギャップに、アリサは妙な気恥ずかしさが沸き上がってしまう。

「心配してたのはなのはとすずかだけで、私はあんたの心配なんてしてないわよっ」
「え。アリサちゃんさっき私たちって……」
「言ってない!」
「私もそう聞こえてたけど」
「気のせいっ」

 なのはやすずかの突っ込みにも威嚇せんばかりに否定するアリサだが、その顔が真っ赤に染まっていては照れ隠しだというのがモロバレである。
 そんなアリサを勇斗が黙って見ているはずもなく、ニヤリとした笑みを一瞬だけ浮かべては消し、言った。

「そんな顔真っ赤にして言われてもなぁ。照れ隠しってのバレバレだぞ、あーたん♪」
「だからあーたん言うなぁっ!」

 ガーっと怒鳴りつけるアリサだが、アリサをからかい慣れてる勇斗からすれば、どこ吹く風だ。
 むしろそういう反応こそ勇斗の望む    ものである。

「アリサちゃん、そうやってムキになればなるほど、照れ隠しだって言ってるようなものだよ」
「……くっ」

 すずかの容赦ない突っ込みにアリサの動きが止まる。そこへ勇斗となのはの追撃の言葉が突き刺さる。

「まぁ、もう手遅れだけどな」
「あはは……流石に弁護できないかも」
「くっ、くぬぬ……っ」

 ここで逆上しては勇斗の思う壺だ、落ち着け……落ち着くのよ私、と自らの理性をフルに動員して気を落ち着かせるアリサ。
 だが、もちろんここを見逃すほど、勇斗は優しくない。

「やれやれ、モテる男は辛いな。オチオチ行方不明にもなっていられん」

 大げさに頭を振って盛大なため息をつき、なのはとすずかは「それはないない」と言わんばかりの呆れた表情で手を振って否定するが、アリサの視界には入らない。
 アリサはただ顔を伏せ、きつく、強く握りしめた手を震わせながらも、こんな見え透いた挑発に乗ってはイケナイと、必死に感情を押さえ込む。

「つーか、そんだけムキになるってことは、実は俺のこと好きだろ、おまえ」

 ――――ブチッ
 その時、アリサの後ろにいたなのはとすずかは、何かが切れた音を聞いた――――ような気がした。
 腕の震えは、いつまにか止まり、アリサは顔を伏せたまま静かに、ポツリと呟く。


「あんたを殺すわ」


「いきなり殺人予告!?」
「ア、アリサちゃん落ち着いてっ!」

 普段のアリサからは想像もできない、何の感情も篭っていない言葉。
 それは聞く者に得も知れぬ不安を抱かせるのに十分過ぎる力を持っていた。
 なのははおろか、普段は勇斗と一緒になってアリサを煽るすずかすら、危機感を抱いてしまうほどに。

「これが噂のヤンデレか」
「ここに来てまだ煽るの!?」
「おまえも突っ込みとして成長し――!?」

 なのはの反応に満足そうに呟いた勇斗の言葉が中断される。
 それを為したのはノーモーションで繰り出されたアリサの拳に他ならない。
 辛うじて回避したものの、アリサの一撃は確かに勇斗の鼻先を掠めていた。

「避けるなぁっ!バカゆーと!」
「避けなきゃ痛いだろ!」
「あんたのバカは一度死ななきゃ治らないのよ!大人しく私に殺されなさい!」

 続けざまに二発目の拳。だが、それも虚しく空を切る。

「フハハッ!残念だったな、一度死んだくらいでは治らんわ!」
「え、そっち?」
「なら、二回死ねぇぇぇーっ!!」

 アリサと勇斗の追いかけっこは、アリサの体力が尽きるまで続いたという。



「で、落ち着いたか?」
「誰のせいよっ!」
「まぁ、それはそれとして」
「あんた、やっぱり私に喧嘩売ってるわよね?そうでしょ?そうなんでしょ?」
「ア、アリサちゃん」
「抑えて抑えて」

 なのはとすずかに抑えられるアリサを見て小さく笑う勇斗。
 勇斗の笑みが自分を嘲笑うものと判断したアリサが声を張り上げようとしたその時――。

「そ、それよりっ、一体何があったの!?」

 このままで無限ループに入ってしまう。そう判断したなのはがとっさに言葉を割り込ませる。

「うん、それなんだけどな……」

 勇斗のほうも、そのことはちゃんと話さなければならないと思っていたのだろう。
 それ以上アリサを冷やかすことは無く、一息つく。
 そして勇斗にしては本当に珍しく、酷く困惑したような表情で言った。

「何も覚えてないんだ」

「はぁ?」
「えっと、それってどういう……こと?」

 首を傾げた三人の視線を受けながら、勇斗自身どう説明したらいいものか困ったように話し始めた。

「まぁ、言葉どおりなんだけどさ。気付いたら裏山にいて、時間が二日ばかし過ぎてたっていう。いつ、なんでそこにいたのかさっぱり覚えてないんだよ」

 思いもよらぬ勇斗の話に三人は一様に困惑した顔を見合わせながらも、勇斗の話に耳を傾ける。

「それって、二日間ずっとそこで気を失ってたってこと?」
「さて、どうだろう。記憶が飛ぶ前は夕方で街中を歩いてただけのはずなんだけど……」

 すずかの疑問に、勇斗自身も首を傾げながら答える。

「夕方だったはずなのに、気付いたら真っ昼間。で、慌てて携帯見たら二日も過ぎてるだろ?俺自身訳わかんなくて困ったわ。で、とりあえず母さんに連絡して、事情説明して、そのまま病院に連行された」
「病院?」
「まぁ、二日も行方不明になってたから何も言い訳できなくてな。一通りの検査やらなにやら受けてたらもうこの時間よ」

 行方不明となっていた子供が見つかれば、まずその安否を気遣うのが人の親であろう。
 ましてや本人はこの二日間のことを何も覚えていないとくれば、真っ先に病院で検査を受けさせるのは当然の判断と言えた。

「……それで結果はどうだったの?」
「心身ともに異常なし。脳にも特に異常はないらしいから、なにかのきっかけで思い出す可能性はあるんだとさ。だから心配はいらん」

 恐る恐る尋ねるすずかに不敵に笑って答える勇斗。

「だからって、微妙に言葉繋がってないわよ、それ」
「細かいこと気にするな。ま、結果的に何もなかったんだからそれ以上気にするな。結果オーライでいいじゃないか」
「いや、そこはもう少し気にかけたほうがいいと思うんだけど……」
「あいにくと俺は過去を振り返らない主義なんだ」
「……あんたを心配した私達がバカだったわ」

 なのはの突っ込みに胸を張って答える勇斗にガックリと脱力するアリサ。もはや心配してたことを否定する気力すら失くしたようだ。
 散々こちらが心配したにも関わらず、当の本人がこうまでケロっとしていればそれも仕方の無いことだろう。
 丸二日も行方知れずの上、その間の記憶が無いということは、一般的にはかなりの大問題のはずだが、この限りなく能天気な少年には大したことではないらしい。
 一番不安なはずの本人がこうまでお気楽では、これ以上心配したり、突っ込むのもバカらしくなってしまう。

「あはは、でも本当ゆーとくんが無事でよかったよ」

 そんな友人達の態度と雰囲気に、自然とすずかも笑顔を零す。
 心のうちでアリサと同じことを感じながら、勇斗の一連の行動は自分達が必要以上に心配したり、不安にさせない為の配慮だったのではないかとも思う。
 勇斗のどこまでもお気楽で根拠の無い自信に満ちた態度は、漠然とした不安や憂慮を吹き飛ばしてしまうものがある。
 それを本人が意図してのものなのか、無意識のうちにそうなっているのかまでは、すずかにはわからなかったが、勇斗のそんな雰囲気をすずかは好ましく思っていた。

「心配かけたのは本当に悪かった。つくづくすまん」
「そんなに謝らなくていいわよ。話聞いた限りじゃあんたが悪いってわけでもないし」

 そっけない口調で言いながら顔を逸らすアリサだが、それが照れ隠しであることは一目瞭然である。
 それを分かっている勇斗となのは、すずかの三人は顔を見合わせて小さく笑い合い、アリサがほんの少し顔を赤くする。
 下手に反論しないのは、自分が照れている自覚があるせいか、もしくは反応することが勇斗の思う壺だと学習したためか。
 つい少し前まで漂っていた暗鬱とした雰囲気は、すっかりと消え去っていた。
 そんな中、ふとある事に気付いたなのはが念話を飛ばす。

『ね、ダークブレイカーに聞けば何があったかわかるんじゃないの?』
『残念。こいつも俺と同じ症状だったらしい』

 軽く返された勇斗の返事に、なのはの表情が一瞬だけ変わる。
 声にまで出なかったのは僥倖というべきか。

『それって、もしかして』
『デバイスに干渉できるってことは間違いなく魔法絡みなんだろうな』

 なのはの考えをあっけらかんと肯定する勇斗。
 動揺するなのはが口を開く前に、そのまま言葉を続ける。

『ま、俺もこいつも特に異常はなかったんだ。そのうちまたアースラで調べてもらうさ。あっちにはもう連絡いれてあるしな。変な心配はしなくていいよ。絶対大丈夫だ』
『……それ、絶対根拠ないよね?』

 一片の迷いすら見せずに断言する勇斗。
 返ってくる答えを半ば予想しつつも、なのははその問いを聞かずに入られなかった。

『俺の勘は当たる』
『…………』

 確信に満ち溢れたその口調に、反論する気力を根こそぎ奪われてしまうなのはであった。

「そうそう、忘れるところだった。こうしてここまで来たのは、生還の報告だけじゃなくて三人に頼みたいことがあったからなんだけど」
「ゆーとくんが?」
「私達に……」
「頼みたいこと?」

 勇斗の言葉に三人は顔を見合わせ、勇斗はいたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべていた。













「……はぁ」

 留守電に入っていたメッセージを聞き終えたはやては静かに息をつく。
 メッセージの内容は自分の主治医である石田幸恵から食事の誘いだった。
 明日は自分の誕生日である。それに対する気遣いそのものは有難かったが、今のはやては誕生日など喜べる心境にはなかった。

「ゆーとくんのアホ」

 自分のベッドでうつ伏せになりながら呟く。
 遠峯勇斗。二日ほど前から行方不明になった友人。
 ほんの数日前には一緒に笑い合い、自分の誕生日を祝ってくれると約束してくれた。

「祝ってくれる本人がいなくなってどうすんのや」

 彼の母親から勇斗の失踪を聞かされたとき、はやては耳を疑った。
 色々常識を疑いたくなるセンスを持つ友人だが、はやてにとって唯一の同年代の少年である。
 そんな友人が自分の誕生日を祝ってくれると言ったのだ。
 同年代の友達に祝ってもらう初めての誕生日。同年代の少年少女に比べ、精神的に成熟しているとはいえ、九歳の少女がそれを楽しみにしていないはずがなかった。
 それがほんの二日前に中止を余儀なくされてしまった。祝ってくれる友人の消失という最悪の形で。
 胸にぽっかりと穴が開いたような消失感。小説や漫画などでよくある表現だが、自分がそれをこうして味わうことなど思いもよらなかった。
 自分の誕生日などどうでもいい。
 ただただ無事であって欲しい。
 その想いを込めてぽつりと友人の名前を呟く。

「ゆーとくん」

 ――ガタッ

 突然の物音に反射的に振り向く。

「なんでわかったのだ?音も無く忍び寄るゆーと君に」
「――――ひっ!?」

 窓からの侵入者に声にならない悲鳴を上げるはやて。

「なななななな……」
「にぬねの?」

 涙目で動揺しながら手探りでベッドの上に放置されていた本を手に取るはやて。

「何しとんねん、あほ――――っ!!」
「おぶうっ!?」

 はやては手にした厚さ五センチの本を力の限りに投擲。投擲された凶器は狙い違わず侵入者――遠峯勇斗の顔面に角から突き刺さった。

「てっ、あぶなっ、落ちる!死ぬっ」

 窓枠に足をかけ乗り越えようとしていた勇斗は顔面への衝撃に、危うく落下しながらもなんとかバランスを取り戻して部屋の中へと転げ落ちる。
 はやての部屋は二階。
 そこから落下しかけたと言う恐怖に全身の毛が総毛立ち、顔色は血の気が引いて真っ青になっていた。
 そしてそこだけ赤くなった鼻を押さえながら涙目で叫ぶ。

「あぶねーなっ!落ちたらどーすんだ!?今のは本気でヤバかったぞっ!!」
「こんな夜中にいきなり窓から不法侵入するほうがよっぽど危ないわッ!行方不明になってたくせに常識捨てた登場すなーっ!」
「寝てたらアレかなーと思って、気を遣ってこっそりと窓から入って驚かそうと思ってきたんだろーが!」
「気の使い方が間違っとる!本気で心臓止まるかと思ったわ、アホーッ!」

 言い返すはやても心の底から驚いたらしく、こちらも涙目である。

「だからってこんな分厚い本投げるなよっ!本気で死ぬかと思ったわ!」
「自称魔法使いならそれくらいなんとかせい!このエサマスター!」
「自称とかエサマスター言うなッ!!」

 お互いに本気で怖い想いをしたせいで、常に無い勢いで罵り合うが、息つく間もなく大声を張り上げた為、どちらともなく酸欠に陥り息が切れていた。

「ハァハァ……ちょっと、休憩……つーか、ご近所迷惑、や」
「異議、なし……」

 はやての提案を即座に勇斗も受け入れ、お互いに息を整える。
 その間に昂ぶった感情も収まり、はやては顔を上げて静かに問いかけた。

「で、何しにきたん?」
「無事の報告とこれから起きるサプライズについて報告しようかと」
「サプライズー?」

 即答する勇斗にはやては胡乱げな視線を向ける。
 この少年の言うことは話半分に聞くのが一番だと、今までの付き合いで嫌と言うほど熟知している。
 サプライズとやらが気にならないと言えば嘘になるが、勇斗の言葉どおりに受け取るほど愚かなはやてではない。
 姿勢を正し、真剣な眼差しで真っ向から勇斗と視線を合わせる。

「その前に言うことあるやろ?」

 じっと見つめてくるはやての視線に、勇斗は一瞬首を傾げかけるが、すぐにその意図を察知して真顔で頭を下げる。

「心配かけてごめんなさい。私は笑顔でいます。元気です」
「全然笑顔ちゃうやん」

 と、苦笑交じりに突っ込むはやてだが、その声には普段の柔らかさが戻っていた。
 その登場の仕方には色々文句や突込みどころしか出てこないが、こうして目の前に無事な姿の勇斗が目の前にいる。
 それを確認した途端、先ほどまでの暗鬱な気持ちは全て吹き飛んでいた。

「ほんまのほんまに平気なん?」
「おう。心身ともに良好。心配無用でござる」
「そか。なら良かった」

 きっぱりと言い切る勇斗にようやくはやても笑顔を見せ、にこやかに訪ねた。

「で、夜中に女の子の部屋に不法侵入した件について、おばさんと警察、どっちに通報されるのがええ?」
「すいません、どっちも勘弁してください」

 勇斗は即座に頭をじゅうたんに擦り付けた。



「そもそもなんでこんな時間になったんよ?」

 二人ははやての部屋からリビングに移動し、勇斗がお茶を入れる。勇斗が入れたお茶を啜すりながら、はやては不機嫌そうに詰問する。
 時計が指し示す時刻は既に23時を回っている。一般的にこんな時間に人の家を訪ねるのは常識外である。

「簡単に言えば病院に連れてかれたり他の友達に報告したりする内に夜になって外出禁止令出されて、こっそり抜け出す機会を待ってたらこんな時間だった」
「うん?」

 曖昧に頷いたはやてに、勇斗はなのは達に話した内容をそのまま説明していく。
 要約すれば、行方不明になったいた時間のことは何も覚えていなかったこと、当分の間、一人での外出を禁止され、どこかに出かけるときは必ず両親のどちらか、もしくは友人と同伴することが義務付けられたことの二点である。
 実際、夕方にすずかの家に行ったときも、母親同伴という条件の下、許可された外出であった。
 些か過保護と言えなくも無いが、小学三年生の息子が原因不明の行方不明になった両親の心情を考えれば、勇斗も反論できず、渋々ながらも受け入れざるを得なかった。
 すずかの家にいった時点で日が暮れかけ、帰宅したときには19時を回っていた。行方不明から帰ってきたばかりの勇斗にそんな時間からの外出など許可されるはずも無い。
 仕方無しに、自室で寝たフリをしてこっそりと家を抜け出してきたのである。
 そこまで聞いたはやては心底呆れたようにため息をついた。

「別にそこまでせんでも電話で連絡くれたらそれでええやん」
「うーん、決定的瞬間を見逃すのは勿体無いかなーと思って」
「そーかそーか、そんなに私の驚く顔が見たかったんか」

 はやての知る勇斗なら、そんなくだらないことの為だけに膨大な労力を費やしかねい。
 そんなことするくらいならば、もっと早く無事だという連絡をよこせと言う怒りが込み上げてくる。
 電話でもなくとも、メール一つさえ貰っていれば、あんなにも苦しい思いをするはずなかったのに、と。

「いやいや、そっちじゃなくて」

 そんなはやてから発せられる怒気に慌てて弁解する勇斗。

「えっと、さっきも言ってたサプライズ!あれを説明するのにちょっと電話じゃ話しにくかったんだって!連絡が遅くなったのはホントにごめんだけどっ!」
「……人に余計な心配かけさせた分の価値が無ければ、どうなるか覚悟できとるよな?」
「うむ、それに関しては心配無用だ」

 ジト目で睨むはやてに少しも怯むことなく頷く勇斗。
 毎度の事ながら、勇斗のこの自信がどこから来るのかはやてには全く理解できない。
 性格、と言ってしまえばそれまでなのだが。

「で、そのサプライズって何やの?」
「うむ、それはだな……」

 ちらりと時計に目を這わせた勇斗は、一呼吸おいて言った。

「おめでとう!日付が変わると同時にあなたに家族ができます!」
「…………」

 はやては無言で携帯を取り出して言った。

「……さておばさんに連絡しよか。あ、救急車呼んだほうがええかな?」
「うん、まぁ、その反応は予想通りだけど話は最後まで聞いてもらおうか」

 と言いながらも、テーブル越しにしっかりとはやての携帯を手で抑えてるあたり通報されるような事態は心から避けたいらしい。

「…………」
「お願いですから最後まで聞いてください」

 はやての無言の圧力に抗いきれず、勇斗は頭を下げて頼み込んだ。
 それに少しだけ溜飲をさげたはやては無言でその先を促す。

「えっと、はやての部屋にあったこの本だけどさ」

 リビングに移動する際に、はやての許可を得て持ち出した本を指し示す。
 十字状に絡まった鎖で封を為された一冊の本。

「こいつは闇の書っていって、ロストロギアっていう魔法文明の遺産の一つなんだ」
「へー」

 と頷きつつも、可哀想なものを見るような視線から、はやてが勇斗の話を一ミクロンも信じてないことは明白だった。

「なんでそんなもんがうちにあるんよ?」
「まぁ、それは旅する魔道書云々だから。詳しいことはシャマル先生あたりにでも聞いてくれ」
「シャマル先生って誰やねん」
「この闇の書の守護騎士。はやての誕生日になるとこの本から、おっぱい魔人、幼女、うっかりお姉さん、マッチョな犬。計三人と一匹があなたの僕として出てきます」

 その言葉を聞いた途端、胡乱げ目つきから一転、真剣な顔つきへと変化したはやてがバンっとテーブルに手をついて言った。

「おっぱい魔人について詳しく」
「……あぁ、そこに反応するんだ」

 守護騎士や僕より如実に反応を表した箇所がそこか、と呆れると同時に説明するのが色々面倒臭くなる勇斗であった。

「ま、あれだ。百聞は一見に如かず。とりあえず日が変わった辺りだか、明日の夜だか忘れたけどいきなりその本から4人出てくるからビビって気絶しないようにな」
「え、何。そのネタ、明日の夜まで引っ張るん?」
「……」

 おっぱい魔人で釣れたと思いきや、ちっとも信じていないはやてに文句が出そうになった勇斗だが、それが当たり前の反応かと思い留まる。

「つーか、魔法は信じても、俺の話は信じないのな」
「あはは。だってこんな本から人が出てくるとかまるっきりファンタジーやん」
「魔法も十分ファンタジーだけどな」

 とはいえ、光ったり飛んだりするよりも本から人が出てくるほうが遥かに難易度が高く思えるのも事実。
 逆の立場なら自分だって信じないだろうと思い直した勇斗はこれ以上の説明を放棄し、日付が変わるのまで放置を決め込みお茶をすする。

「んー、確かにそーなんやけど、ゆーとくんが見せてくれた魔法であんま凄いのなかったからなー」

 そんな勇斗をニヤニヤと見つめながら揶揄するはやて。
 はやても勇斗が意味なく出鱈目や嘘を言うとは思ってないが、流石に「自室にある本が魔法の本で、そこから4人の僕が出てきます」と言われて、「はい、そうですか」と信じるわけがない。
 勇斗自身が魔法を使って見せた前例もあるので、心のどこかではもしかしたら……と考えているが、それを表に出したりはしない。

「……しばらくすりゃ出てくるお前の新しい家族に好きなだけ見せてもらいやがれ、こんちくしょう」

 勇斗からすれば腹立たしいことこの上ないが、手持ちで胸を張って魔法と言えるのはフローターフィールドぐらいのものである。
 落下速度緩和は見た目的に地味。バリアジャケット装着はダークブレイカーによって行われているし、ディバイドエナジーは供給する相手がいないのではやてには見せていない。
 つい最近になって飛行魔法がまがりなりにも使えるようになったが、現時点では飛行というよりホバリングと言ったほうが適切だろう。
 身体能力強化に関しては、厳密には魔法ですらない。

「あはは、怒らない怒らない。ゆーとくんがどんなにしょぼい魔法使いでも、誰からも相手にされない嘘吐き少年でもわたしだけは友達でいたるからなー」
「へいへい。ありがとーございます」

 はやての揶揄に普段通り無表情で返す勇斗だが、はやてからすればそんな反応でも楽しいらしく、終始ニコニコとしていた。

「……と、そろそろかな?」

 時計が午前零時を指そうとしているのに気付き、持参した荷物からごそごそと何かを取り出す勇斗。

「ほいよ」
「……クラッカーにカメラ?」

 勇斗に渡されたクラッカーに首を傾げるはやて。いつものことながら勇斗の行動は意図が読みにくい。

「や、ヴォルケンズ召喚シーンをきっちり納めておこうかと。本から人が出てくる瞬間なんてなかなか見れないし。で、俺がシャッター押したら即クラッカーな。ふっふっふー、ヴォルケンズがどんな顔するかワクテカだ」
「……」

 無駄に好奇心を滾らせている勇斗を眺めながら、ヴォルケンズというのはおそらく闇の書から出てくる人たちを指しているのだろうと、ぼんやりと判断するはやて。
 はやてが知らない言葉を呟き、何やら一人で自己完結している勇斗だが、こんなものまで用意しているということは、先ほどまでの話はどうやら本気らしいというのは理解した。
 そうなると気になるのは、何が勇斗をこんな行動に至らせた根拠だ。
 基本的に面倒臭がりな勇斗が、何らかの確信もなしにここまで行動するとは思えない。

「そもそもなんでゆーとくんがそんなこと知ってるん?」

 はやてが疑問に思ったことをそのまま問いかけると、勇斗は間髪入れずに答えた。

「俺の勘は当たる」
「……さよか」

 躊躇なくキリッと真面目な顔で即答する勇斗に、はやては突っ込む気力すら無くしていた。
 まともに答える気がないのであれば、問い詰めるだけ無駄と判断したはやては静かにため息をつく。
 居間の時計へを視線を向けると時刻は23時59分。まもなく、日付が変わり、はやての誕生日となる。
 ちらりと勇斗へ目を向ける。
 ヴォルケンズとやらが現れるのがよほど楽しみなのか、その視線は時計とテーブルに置かれた闇の書を何度も往復していた。

(こいつ、絶対、私の誕生日忘れとるやろ……)

 先ほどまでは、単純に勇斗と話ができることを楽しんでいたが、こうなると妙に腹が立ってくる。
 このまま何も起きなかったらどうしてくれようかと、思考を巡らせた時、リビングの時計が0時を回ったことを告げる。

「…………」
「…………」

 一秒。二秒。三秒、四秒、五秒。
 二人が黙したまま闇の書を見つめること30秒が経過した。

「……なにも起こらへんな?」

 ジロリと勇斗を睨みつけるはやて。

「うーん、明日の夜だったっけなぁ?」

 勇斗にとっては十年以上前の記憶である。
 闇の書の覚醒がはやての誕生日の夜だったということは覚えているが、それが日付が変わった直後なのか、さらに陽が昇って落ちた後の夜なのかまでははっきりと覚えていない。
 漠然とはやての誕生日になった瞬間に出てきたと思っていたのだが、こうして一分以上経過しても何も起きないところを見ると違っていたらしい。
 もしくは、勇斗の記憶と違い、闇の書の覚醒にズレが生じたのか。

「あ」

 勇斗がはやてのキツイ視線に晒されながら、うーんと唸っていると、不意にはやてが手を叩いて声を上げる。

「ここの時計、2,3分進んでるの忘れてたわ」
「うおぃ!」 

 てへ、と可愛らしく舌を出すはやてに勇斗が思わず裏拳で突っ込みを入れたその瞬間――――――ソレは目覚めた。


 ふわりと宙に浮かび上がり、明滅する光を放つ古の書。


 長い長い時間の果てに改変され、呪いという楔を打ち込まれた忌むべき魔導書。


 本来の名を失ったその魔導書の名を闇の書と言った。



■PREVIEW NEXT EPISODE■

 ついに覚醒した闇の書。
 それは闇の書の主であるはやてとその守護騎士達との邂逅を意味する。
 その場に居合わせた勇斗が取る行動とその意図は?

勇斗『俺が正義だ』

 

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UP DATE 10/2/24

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