Memories Off Another

 

第63話

 


「おまえももーちょい人目を考えて行動しろよ」
「それを俊くんが言う?」
「客観的事実だから。少なくともさっきのは俺、悪くないぞ」
「むーっ」

 校外まで脱出したのは良かったが、どうにも桧月はご機嫌斜めなようだ。どう考えてもさっきの原因は桧月なのだが、人間正論を言われると頭にくるものである。
 だが、こうして頬を膨らませてる桧月というのもこれはこれで全然アリだね、と思ってしまう俺は実にお手軽かつビョーキだと思う。

「これが若さか……」

 惚れた弱みともいう。

「なんかすごっく失礼なこと考えてるでしょ?顔がすっごいニヤけてるんですけど」
「全然そんなことはこれっぽちもないぞ」
「そんな緩んだ口元じゃ、全然っ説得力ないだけどー?」

 眉間にしわを寄せた桧月が人の頬をぎうぎうと引っ張リ始める。

「地味にひはいからやへれ」 
「ふっふーん、どうしよっかなー」

 俺の顔が歪んでいるのがそんなに楽しいのか、いつの間にか桧月の機嫌が治っていた。これはこれでお手軽だが、こうも暴力に訴えるのはいかがなものか。
 日に日に桧月の凶暴性が増している気がして仕方ない。

「ほんなほとひへるとまはめはつぞ」
「うっ……」

 校外には屋台が並んでいる為、当然そこにも人は大勢いる。そんなとこでこんなふうにイチャついてたら(俺主観)、さっきの二の舞である。
 俺に指摘されてようやくそのことに思い至ったのか、パッと桧月の指が俺の頬から離れる。
 
「ふふふ、だからお前はアホなのだっ」
「……後で覚えてなさいよ」

 と、凄んで見せる桧月だが、そうそうびびる俺ではない。

「そんなに怒ってばっかだと眉間にしわができるぞ」
「誰のせいよっ!?」
「智也?」
「俊くんだってばっ!」

 コロコロ機嫌が変わって忙しないことこの上ない。

「まぁまぁ、落ち着け。あそこのクレープとか美味そうだぞ」
「……俊くんの奢りだよね?」

 さも当然だよね?と言わんばかりに可愛らしい笑みを浮かべる桧月。何故にそうなるのかまったく理解できない。

「ここは一つ男の甲斐性ってものを見せて欲しいかなー、なんて?」

 しれっと、小首を傾げながら言ってのける桧月に対して、言いたいことは色々あるのだが、クレープ一つがこの笑顔の代価と思えば、安いものかもしれない。
 こっちからデートに誘った手前、奢るのは吝かではないのだが、ただ桧月の言いなりになるのも何か悔しい。

「……最近、性格悪くなってるよね、お前」
「うん、おかげ様で。物凄く意地悪でとっても素直じゃない人が傍にいるからねー」

 俺の反撃をさらりと受け流し、ちらりと俺のほうを覗き見してくる。

「ブルータス、おまえもか」
「……なんのこと?」
「や、気にしなくていいけどさ」
「そ?ならいいけど。さーて、どれにしよっかなー」

 さやかといい、桧月といい、どうして俺なんかから影響を受けるのか不思議でならない。
 詩音も似たようなことを言っていた気もするが、凡庸な俺のどこに影響を受ける要素があるというのか。まったくもって謎である。
 というかそれははっきり言って悪影響以外の何者でもないような気がしてならない。
 楽しそうにクレープ屋のメニューを眺める桧月に一抹の不安を抱かざるを得なかった。









「おぉ、これはこれは……」
「結構、混んでるね」

 一通り外を回った後に訪れたのは喫茶店『オータムフラシュ』。智也たちのクラスが出している店だ。
 ここに来る途中で今坂に追われる智也と信を見かけたので、その三人はいないのだろうが。
 丁度俺たちが目撃したのは、今坂が二人を発見したところで、逃げ出す智也達の傍らにはカキコオロギを手にした犠牲者と思しき人物が一名。
 遠目とはいえ、今坂から説明を受けた彼の顔が絶望に変わる瞬間はなんとも筆舌に尽くし難く、俺たちは何も見なかったことにしてその場を立ち去ったのは余談である。

「いらっしゃいませ。オータムフラッシュにようこそ!って、あれ?」

 列に並んでようやく教室に入った俺たちを迎えたのは、メイド服に身を包んだ小夜美さんだった。
 流石にこれは予想できず、桧月も驚きに目を丸くしている。

「いやいやあなた一体何をやってるんですか」
「ふふーん。見てわからない?メイドよ、メイド。一度こういう格好してみたかったのよね〜」
「いえ、そうじゃなくてですね……」

 ひらりと一回転してポーズを決める小夜美さんに、桧月も思いっきり困惑してる。
 まぁ、たしかに似合ってることは似合ってるんだが、何故に高校の文化祭であなたがメイドをやってるのかと問いただしたい。
 あなた思いっきり部外者でしょうに。

「にしてもふーん、へー、ほ〜お?」

 そんな俺たちの視線など意に介さず、小夜美さんは俺と桧月を値踏みするように見比べ、しきりに頷いている。
 何を考えているかは大体察しがつくが、なんとも居心地が悪い。

「え〜、と」

 桧月もそんな小夜美さんの視線が何を意味するのかに気付き、困惑したように頬を掻く。
 そこで照れたり赤くしないところが微妙に悲しい。

「あぁ、いーのいーの。何も言わなくてもおねーさんはちゃ〜んとわかってるから。相席になるけど、そこは我慢してね。二名様ごあんなーい」
『……』

 絶対わかってませんよ、あなた、という言葉を二人して呑みこみつつ、小夜美さんの言われるまま案内された席に着くとそこには思わぬ先客がいた。

「あら?」
「おろ?」

 小夜美さんを振り返れば、してやったりといった顔で手を振っている。
 相変わらず、こういうちょっとしたいたずらを仕掛けるのが好きな人である。

「こんにちわ。俊一くん」
「ちわっす。静流さん」

 小夜美さん曰く、『お姉さまは魔女』の静流さんへと挨拶する。あの忌まわしい悪夢の後楽園以来の再会である。
 あの時の惨劇はまだ記憶に新しい。かすかに俺の笑みが引き攣ったのも無理の無いことだろう。
 案内された席は4人がけで、静流さんのほかに見覚えの無い小柄な少女が座っていた。

「お姉ちゃん、知り合い?」
「えぇ。天野俊一くん。前に話したことがあったかしら?この前、小夜美と後楽園に行った時に一緒だった子よ」
「ども」
「あ、ほたるちゃん?」
 
 俺が会釈しながら椅子に座ると、すぐ後ろの桧月が声を上げる。

「あー、彩花ちゃん!久しぶり〜っ」
「うんっ、元気にしてた?」

 と、静流さんの連れらしい少女と桧月は何やら手を合わせて再会を喜んでいた。
 こっちはこっちで知り合いだったらしい。

「えーと?」
「あ、紹介するね。中学の時に一緒だったほたるちゃん」
「前に話したことあったからしら?白河ほたる。私の妹よ」

 そういえば前にそんなようなことを聞いたような気がしなくもない。

「よろしくね、天野くん」
「あぁ、こちらこそ」

 物静かな印象の静流さんとはまた雰囲気が違い、彼女もまた美少女と言って差し支えのない容姿をしていた。どことなく子犬っぽいけど。

「で、そちらは?」
「桧月彩花です。中学のときはほたるちゃんと同じクラスで、今は俊くんのクラスメイトです」

 と、俺が答えるよりも先に自分で自己紹介して座る桧月。静流さんの妹と面識は会っても、静流さんとは面識がなかったようだ。

「クラスメイト……ねぇ?」
「ねぇねぇ?もしかして二人は恋人同士だったりするのかなぁ?」

 ここでも先ほどと同じように好機の視線に晒される。特にほたるさんなんてむき出しの好奇心を隠そうともせず、直球ど真ん中で確信を突いて来る。
 ほたるさんの目の輝きを見る限り、やはり女の子はみんなこの手の話には興味津々なんだなぁ、と実感する。

「恋人……ねぇ」

 非常に残念ながら、今の俺と桧月にはその言葉は当てはまらない。肯定も出来ず、否定もしたくない俺としては苦笑するしかない。

「あはは。そんなんじゃないよ。俊くんは友達……以上、恋人未満、かな」
「だ、そうだ」

 まるで自分自身に言い聞かせるように答える桧月。只の友達、で言い切られなかったことには安堵できるが、素直に喜んでいいものなのかどうか微妙なとこである。

「友達以上……」
「恋人未満、ねぇ?」

 二人揃って首を傾げる白河姉妹。白河妹のほうは、ますます興味を誘ったようで、詳しく聞かせて聞かせて、とその目でせがんでるようにも見える。
 正直、勘弁してもらいたいとこだ。二人の更なる追及を避けるべく、俺は机に置かれたメニューへと目を向ける。

「さて、何を頼もうかなっと」
「私のお勧めはダージリンのセカンドフラッシュです。お茶受けにクッキーはいかかでしょうか?」
「あぁ、じゃあそれ……で?」

 今の声は白河姉妹でも桧月のものでもない。視線を上げればいつの間にかそこには詩音が立っていた。
 小夜美さんや他のクラスの女子たちと同じように頭にカチューシャ、黒と白のメイド服姿。ある種の日本人離れした詩音の顔立ちと亜麻色の髪にとても似合った服装と言えた。
 俺と視線が合うと、詩音はにっこりと微笑み、

「はい、ダージリンのセカンドフラッシュにクッキーですね。彩花さんはいかがなさいますか?」

 しれっと言ってのけた。

「ええっと……じゃあ、私も俊くんと同じのを」
「はい。かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 そういってふわりと髪を靡かせて詩音はその身を翻していく。なんというかその一連の佇まいというか行動にはどこか気品のようなものが漂っているように見えるのは、俺の錯覚だろうか。

「今の子、すっごい綺麗だったねー」
「そうね。確かに日本人離れした綺麗な子だわ。あんな綺麗な髪とか瞳はちょっと憧れちゃうかも」
「さすが詩音ちゃん。メイド服も凄く似合ってるよねー」
「……だな」

 流石にこればかりは否定も出来ず、桧月たちの言葉に頷かざるを得ない。小夜美さんのメイド服も悪くないが、やはり詩音は別格と言ってもいい。不覚にもちょっと見とれてしまった。
 むー、昨日はさやかで今日は小夜美さんに詩音か。なんというメイドのバーゲンセール。

「俊一くん、彩花ちゃんがいるのに他の子に見とれてていいの?」
「いや、それもあるけど桧月がメイド服着たらどうかなー、と脳内妄想を巡らせてたんですが……来年は何が何でもメイド喫茶やらねばならんかな」
「ちょっ、俊くん何をっ!?」

 静流さんのからかうような声に生返事を返しながら、思案に耽る。うむ、桧月にメイド服。悪くない、悪くない。いや、むしろ凄く良いぞっ!

「いや、メイド服だけってのも勿体無いな……どうせならもっとこう巫女さんとかスク水とか色々な格好が出来るコスプレ喫茶とか?」

 いかん、想像するだけで色々漲ってきた。燃える、燃えるぞぉっ!

「メイド服かぁ……ほたるが着たら伊波くん、喜んでくれるかなぁ?」
「あの……ほたるー?」
「う〜む、問題は衣装をどう調達するか……演劇部?いや、それだけだとどうにも……」
「いい加減にしなさいっ!」
「おっ!?」

 いまだかつてない速度で思考を続ける脳天に衝撃が走り、続いて頬が左右に思いっきり引っ張られる。

「私の断り無く、妙な想像しないのっ!」

 ギロリと一睨みされた後、パッと指が頬から離される。羞恥の為か、桧月の顔はまたしても真っ赤に染まっていた。

「んな照れなくてもいいのに……」
「俊くーん?まだ足りないかなー?」
「すいませんでした」

 どうでもいいけど威嚇の為に拳を顔に並べるのはとても怖いです、桧月さん。

「仲良いのね、あなたたち」
「夫婦漫才?」
「……はぁ」
「はっはっは」

 白河姉妹の呟きに、桧月は深いため息をつき、俺は乾いた笑いしか浮かべられない。
 確かに桧月との仲は良好だと思う。だけど俺たちの間にはあと一歩、縮めることの出来ない距離がある。ここら辺が恋人未満たる所以だろう。
 その一歩の距離を埋められないこの関係がどうにもこうにももどかしい。時期尚早と言ってしまえばそれまでかもしれないが。

「本当に、見てて妬けちゃいますね。お待たせしました。ダージリンのセカンドフラッシュとクッキーになります」
「詩音ちゃ〜ん、そんなんじゃないよー」
「ふふっ、どうぞごゆっくり」

 なんとも微妙な間で訪れた詩音に、桧月は縋りつくような声を上げ、それに対し詩音もさもわかってますよと言わんばかりに頷いて微笑む。
 詩音のクスリと俺に向けられた笑みがなんとも言えない居心地の悪さを感じる。
 あらかじめ詩音にも桧月と奏雲祭を回ることを言ってあるし、詩音からここに来てほしいとの誘いも受けている。だから後ろめたいことは何一つない、と思う。
 が、仮にも自分を好きだと言ってくれた子に対して、他の女の子と一緒にいるところを見せるのはどうかとも思わなくもなかったのだが。
 今の詩音の笑みが、『まだまだ私にもチャンスはありますから』という余裕のようなものを含んでいるように見えたのは俺の邪推だろうか。

 「にしてもまぁ、本当に大繁盛だな」

 詩音の持ってきた紅茶を含みながら辺りを見回す。用意された席はほぼ満席で行列もまだまだ続いてるようだ。

「……?」

 桧月の反応がない。目を向けてみれば、ティーカップを持ったまま硬直している桧月の姿。

「もしもし?」
「……ねぇ、俊くん?」
「なんだ?」
「……この紅茶すっごく美味しい」

 何を今更……と言いかけて、首を傾げる。

「あれ?桧月って詩音の紅茶飲むの初めて?」

 カップに視線を向けたままコクコクと頷く桧月。

「私、こんな美味しい紅茶飲んだことない」
「うん、ほたるもほたるも。紅茶がこんな美味しいなんて知らなかったよぉ」
「そうね、まさか学園祭の喫茶店でこんな良い紅茶飲めるなんて思いもしなかったわ」

 紅茶に対しては並々ならぬこだわりを持つ詩音がいるのだ。クラスで出す喫茶店とはいえ、一切妥協するはずもない。
 後で聞いた話によると、紅茶を入れる係のクラスメイト達は詩音に一時間以上にも及ぶ講義を受けたとかなんとか。

「俺も淹れたてを飲むのは初めてだけどな。やっぱあいつの紅茶は別格だわ」

 ゆっくりと詩音の紅茶を味わいつつ、クッキーにも手を伸ばす。市販品のようだが、お茶受けには悪くない。

「……なんだよ?」

 桧月がカップを持ったままじっとこちらを見ていた。

「それ詩音ちゃんに直接言ってあげると喜ぶと思うよ」
「……まぁな」

 美味かったものに美味かったというのは吝かではない。だが、それを桧月に指摘されるとどうにもやるせないものが込み上げてくる。
 そんなにも桧月は俺と詩音をくっつけたいのか、と。
 これ以上この話を続けるのは何か不毛な気がして、俺は強引に話題を変えることにした。

「そういえば小夜美さん経由で仕入れたパンってどれだろ?」

 小夜美さんが近くに居ないのを見計らってメニューを覗き込む。メニューを見る限りではどれも普通の名前に見える。
 この中に小夜美さん経由で仕入れたパンがあるというのか。

「あぁ、クラブサンドのことよ」
「クラブサンド?」
「なんで知って……って、もしかして食べました?」

 俺の問いかけに苦笑しながら、頷く静流さん。

「オーダーを取ったのが小夜美でね。せっかくだから、って注文とられたのよ。私は遠慮したかったんだけど、ほたるが……」
「だって小夜美さん、凄く自信満々だったんだよ?あんなに自信満々にされたらやっぱり注文したくなっちゃうよー」

 なんというチャレンジャー。目の前の小柄な少女に驚嘆を禁じえない。
 
「知らないって怖いね……」
「あぁ、まったくだ」

 ボソリと呟かれた桧月の言葉に深々と頷く。
 日頃の購買に置いてあるあのパンを知っていれば、そんな気持ちは微塵も沸いてくるはずも無い。

「あはは、そんなことないよー。まぁ、確かに不思議な味だったけど」
「不思議な味?」

 もうこの時点で嫌な予感しかしない。

「えっと……それってどんなパンだったの?」
「クロワッサンをベースに、何か謎の物体を挟んだサンドイッチよ。世間一般で言うクラブサンドでないことだけは確かね」

 桧月の問いに答える静流さんはどこか遠い目をしながら言った。
 静流さんの顔を見る限り、その謎の物体が何かという追求はしないほうがいいだろう。

「何かもぞもぞ動いてたけど美味しかったよ?他のテーブルの人たちにも評判は良いみたいだし」
「マジか」

 驚愕の事実に戦慄を覚える。俺は話を聞いただけで口をつける気も起きないのに世の中にはそんなにチャレンジャーがいるのか。

「本当、本当。彩花ちゃんたちも騙されたと思って食べてみれば?」

 にこやかに恐ろしいことを言ってくれる。

「わ、私たちは外でもう食べてきたから、大丈夫っ。ね?」
「あぁ。だから紅茶とクッキーだけで十分だ。あはは」

 小心者と笑わば笑え。わざわざこんな日に生死をかけた博打をしようとは思わない。

「そ、そういえば、ここに飾ってある絵、みなもちゃんが描いたんだって。どれも良い絵だよねっ」
「みなもちゃん?」

 かなり強引な話題転換だったが、幸いにもほたるさんはすぐ話に乗ってくれた。

「桧月のいとこで一個下の後輩で美術部。って、あの絵みなもちゃんが描いたの?」
「うん。唯笑がみなもちゃんに喫茶店に合う雰囲気の絵を飾らして欲しいって頼んだの。で、結局美術部の展示に使わないやつから私と唯笑で気に入った絵を借りてきたの」

 それはおもいっきり初耳だ。言われるまで気付きもしなかったが、適度に装飾が施された壁には数枚の絵が展示されていた。
 紅葉や新緑が眩しい公園の絵。どこかで見たことのある街の風景。壁に飾られた何気ない景色を描き出した絵の数々
 俺には絵の良し悪しや評論などできるほど感性に優れていない。だが、みなもちゃんの絵をじっくりと眺めていると、不思議と心が落ち着き、どこか懐かしい気持ちを思い出させてくれる。

「見ていると心が安らぐ……そんな気持ちにさせてくれる、良い絵ね」
「うんうん。きっと、そのみなもちゃんって子、絵を描くことが本当に好きで、心から楽しんで描いたんだね」
「本人に伝えときますよ」

 自分が褒められているわけではないが、自分の友人がここまでべた褒めされるのは悪い気分ではない。
 ひとづてとはいえ、みなもちゃんも自分の絵の感想をもらえれば喜ぶことだろう。

「えぇ、よろしくね。さて、ほたる。私たちはそろそろ行きましょうか」
「うん、そうだね。お店も混んでるし、あんまり長居してたら他のお客さんに迷惑だもんね。それに……」

 にひひ、と意味深な笑いを浮かべて俺と桧月、交互に視線を送ってくる。

「これ以上デートのお邪魔するわけにもいかないもんねっ。それじゃ二人ともご〜ゆ〜っく〜り〜」
「ほ、ほたるちゃんっ」

 ばいばーい、と手を振りながら静流さんの手を引いて去っていくほたるさん。
 姉妹とはいえ、姉の静流さんとはまた一味違った性格のようだ。
 まぁ、彼女らのことはともかく、桧月が顔を赤くしているのは単にからかわれたことに対してか、それとも一緒にいるのが俺だからか。
 ……間違いなく前者かな、と結論付け、ため息をつく。
 桧月と一緒にいられるだけで楽しいのは確かだが、更にもう一段上を求めてしまうのは高望みだろうか。

「えっと、いきなりため息ついてどうしたの?」
「や、こんな美味い紅茶だと、もうそこらの紅茶は飲めなくなるなー、と」
「……うん、確かに。詩音ちゃんの紅茶に比べたら市販の缶紅茶とかなんて比べるのも失礼になっちゃうよね」
「だよなぁ。俺、ペットボトルの紅茶とか割と好きだったんだけどなぁ。この味に慣れたらとても飲めなくなっちまう」

 基本的に飲料は紅茶一択の俺としては、普段飲むものに困ってしまう。

「俊一さんがよろしければ、いつでもお茶のご用意を致しますよ」

 いきなり会話に割り込んで来た声に振り向けば、いつからそこに居たのか詩音がにこりと微笑み、そのまま何も言わずに立ち去り接客に戻っていった。

「…………」
「…………」

 突然現れてはなんとも言えない空気を残していってくれるやつである。

「意外と地獄耳なのかな、あいつ」
「やっぱり詩音ちゃんってどこか変わってるよね」

 まったくもって同意せざるを得ない。






「なんだかあっという間だったね」
「まーな」

 俊くんと二人、校庭にあるベンチに並んで座る。
 校庭の真ん中では毎年恒例のファイヤーストーム。
 楽しかった時間に終わりを告げるかのように炎が天へと立ち昇っていく。
 時間は瞬く間に過ぎ、気付けば後夜祭。
 喫茶店『オータムフラッシュ』の次に行ったのは、みなもちゃんのいる美術部。
 みなもちゃんとその友達の相摩さんとお話したまでは良かったけど、美術部へ勧誘されたのにはちょっと困ってしまった。
 人数が少なくて色々大変だとは聞いてたけど、私に美術部は無理だよぉ。
 みなもちゃん、私が絵を描くのだけはダメって知ってるはずなのに……。
 おかげで俊くんにも散々ネタにしてからかわれてしまった。うぅ……。
 本当に俊くんは智也以上に意地悪で性格が悪い。

「しっかし智也が後夜祭で今坂と踊るとは……正直意外だ」

 俊くんの視線の先はステージ前に設けられた広場。そこでは何人もの男女が一組となってフォークダンスを踊っている。
 そこには智也と唯笑の姿もあった。

「そりゃ、智也は唯笑の彼氏だもん。それぐらいの配慮はあるよ」

 自分で言った『唯笑の彼氏』という言葉に胸がちくりと痛む。
 智也のことはもう割り切ったつもりでいたけど、まだ完全には振り切れてないのかもしれない。
 とはいえ、智也のことを想っていた時間の長さを考えれば仕方の無いことだと思う。
 幼馴染で同じようにずっと智也を思っていた唯笑だからこそ智也を任せられたけど、これが他の人だったら立ち直るのにもっと時間がかかってしまったかもしれない。

「俺には智也に懇願する今坂の後ろでお前が睨み効かせてたせいに思えたが」
「気のせいです」

 確かに智也を誘った唯笑の後ろから智也を見つめてたけど、別に脅そうなんて思ってなかったし、智也が誘いを受けたのには何ら影響を与えてないはず。多分。

「ま、いいけどさ」

 苦笑しながらそのままフォークダンスを眺める俊くん。私も同じように広場へと目を向ける。
 澄空には後夜祭でダンスを踊ったカップルは幸せになれるという言い伝えがある。
 実際、唯笑も含めて踊っている人たちは、みな幸せそうな表情で踊っていた。
 そっと俊くんの横顔を覗き見る。
 フォークダンスを眺める彼の顔はどこか寂しそうに見えた。
 理由は考えるまでもなく、私のせいだろう。
 自惚れかもしれないけど、ダンスパーティに絶対に誘われると思っていた。
 けれど俊くんは私を誘ったりせずに、今のように一緒にダンスパーティを見てることを提案してくれた。
 それは私がまだ智也のことを完全に吹っ切れていないことを察してくれたから。
 そのことをありがたく感じると同時に、俊くんに対して申し訳ない気持ちで一杯になる。
 私はまだ俊くんの気持ちを受け入れられない。
 好きか嫌いかで言えば、間違いなく前者。だけどそれは恋と言える想いなのか。
 智也の代わりに俊くんに縋っているだけでないのか。
 幾度となく繰り返してきた自問自答にまだ答えが出せないでいた。

「俊一さん」

 いつの間に俊くんの隣に詩音がちゃん立っていた。

「……なんだ詩音か」

 あの、俊くん?女の子に対して『なんだ』は酷いと思うんだけど。

「もう、なんだか最近冷たくないですか?」

 詩音ちゃんの言葉にまったくの同意見なんだけど、口を尖らせて文句を言う詩音ちゃんはちょっと可愛いなと思ってしまう。

「あいにくと俺が優しくするのは好きな奴だけだ。諦めろ」

 自分に対して好意を持ってくれてる女の子にそれはないんじゃないだろうか、とも思うけど、詩音ちゃんはそれを気にした風もなく、問いかける。

「そうなんですか、彩花さん?」
「嘘だと思う」
「いやいやそこで即答するなよっ!」

 私の言葉に慌てふためく俊くんだけど、私はただ冷たい視線を返すだけ。
 少なくとも私には冷たいというか意地悪だ。

「だって、普段だって意地悪ばっかだし、さっきも美術部で散々私のこといじめたじゃない」
「や、それは好きな子ほどいじめたくなる愛情表現で……」
「やってることが小学生レベルだよ……」

 臆面も無く言ってのける俊くんに深々とため息をつく。

「ほっとけ」
「そこが俊一さんの良いとこでもありますけどね」
「もしかしなくてもバカにしてないか?」
「心外ですね、褒めてるんですよ」
「よく言う」
「ふふっ」

 微笑む詩音ちゃんと不貞腐れてる俊くん。
 俊くんと話してる詩音ちゃんは本当に楽しそうで俊くんも満更でもないように見える。
 やっぱり私なんかより詩音ちゃんのほうが俊くんとお似合いなんじゃないかって思ってしまう。

「どした、暗い顔して?」
「あっ、ううん、奏雲祭も終りだなーって」

 胸を刺すような痛みを誤魔化すようにして笑みを浮かべる。

「そーだなー。これが終わると今年のイベントらしいイベントはもうクリスマスくらいか」
「期末テストも忘れずに」
「ぐっ、それを今出すなよ」
「あはは、今からちゃんと勉強しておかないと大変なことになるよー?」
「だとさ」
「なんでそこで私に振るんですか?」

 頬を膨らます詩音ちゃんに、俊くんはニヤリとしか表現のしようのない意地悪な笑みを浮かべる。

「聞きたい?一切合切遠慮忌憚のない事実という名の理由をすべて一から聞かせてやろうか?ん?」
「……意地悪」

 拗ねた詩音ちゃんの呟きに、私と俊くんが同時に噴き出す。

「二人とも笑わないでください!」
「あは、だって詩音ちゃんが可愛いんだもん」
「ま、冗談はともかく、みんなで勉強会みたいなのやるのはいいかもな」
「うん、そーだね。みんなでやったら楽しそう」
「騒がしくて勉強にならない気もするけどな」
「頑張ってまとめてくださいね」
「俺か?」
「頑張ってね」

 詩音ちゃんと二人で俊くんの肩をぽんと叩く。

「ちなみに面子は誰?」
「えっと、私でしょ?俊くんに詩音ちゃん、唯笑に智也。信くんも来るだろうし、みなもちゃんや音羽さんも誘おうか」
「絶対無理」

 ぐったり項垂れて首を振る俊くんが可笑しくて詩音ちゃんと声を上げて笑い合う。
 自分で上げておいてなんだけど、確かに今名前を上げた全員をまとめるのは絶対に無理だと思う。

「ふん、そうして笑ってられるのも今のうちだ。12月7日には目にもの見せてくれる」
「え?」

 12月7日って……。

「12月7日に何かあるんですか?」
「こいつの誕生日。どうせなら派手に祝ってやろうかなって」
「覚えてて、くれたんだ」

 あの大雑把な俊くんが私の誕生日を覚えててくれたことにちょっと驚いてしまう。

「当然。自分の誕生日は忘れてもお前の誕生日は忘れん」
「……どうでもいいですけど、そういうのは内緒にして当日に驚かすほうが良いのでは?」

 詩音ちゃんの適切な突っ込みに俊くんの表情が固まる。

「……その手があったか」

 またしてもがっくりと項垂れる俊くん。

「俊くんって普段クール振ってる割には色々抜けてるよねぇ」
「……放っておいてくれ」

 力なく呟く俊くんに詩音ちゃんと二人で笑い合う。
 こんな楽しい時間がいつまでも続いていけばいいのに。
 炎が立ち上る夜空を眺めながら、私は心からそう思った。

 

 

 

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